風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

あなたが贖ってくださったこの魂は、あなたにほめ歌をうたいます

私の唇は喜びの声をあげ、
  あなたの贖(あがな)ってくださったこの魂は、
    あなたにほめ歌をうたいます。詩編7123
 
 あなたがたの名が
天に書きしるされていることを喜びなさい。ルカ1020
 
 使徒43237
 マルコ102831
      (ローズンゲン日々の聖句8/25;木)
 
 「贖(あがな)い」とは、失われたものを、代価を支払って買い戻すこと。
 「天に名が書きしるされている」とは、天の御国の国籍を与えられていること、
    天の御国の国民にしていただいていることなのだそうです。
 
 私たち人間は、天の神、主、「わたしはあるという者だ」と名乗られる方から、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて、
われわれのような者を造ろう」と願われて造られたものなのだそうです(創世記126
 
 天の神、主、「わたしはあるという者だ」と名乗られる方は、
「父である神」、「御子である神」、「聖である霊」と呼ばれる神が、それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
それぞれが自己主張をするのでなく、
自由意思で、自発的に、愛と尊敬をもって一つになっていらっしゃる方、
一つ思い、一つ心になり、行動を一つにし、存在を一つにしていらっしゃる方なのだそうです。
 
 そして、その自分たちの一つに加わる者がもっと欲しいと願われたようですね。
自由意思で、自発的に、愛と尊敬をもって、ご自身と、一つ思い、一つ心になり、行動を一つにし、存在を一つにする者を造ろうと。
 
 イエスが、ご自分の十字架刑での処刑を明日に控えて弟子たちに語った次の言葉も、この神と私たち人間との一つになる関係、それが回復されることを言っていらっしゃるということでしょうか。
 
 「聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保って下さい。
それは私たちと同様に、彼らが一つになるためです」((ヨハネ1711
 
 「真理によって彼らを聖(きよ)、(世から)分かってください。
あなたのみことばは真理です。
それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。
また、彼らもわたしたちにおるようになるためです」(ヨハネ171721)。
 
 「また私は、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。
それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。
それは、彼らが全うされて一つとなるためです」(ヨハネ172223)。
 
 
 人間イエスとなられた御子である神の命が、私たち人間をご自身に買い戻す贖い代(あがないしろ)、買い戻しの代金として差し出され、私たちすべての人間の身代わりとして、十字架刑で処刑されてくださっている今は、その贖い、買い戻しを自分のこととして受け取る者は、天の御国の国籍を与えられた者としていただけるのだそうです。
 
 そして、喜びと感謝をこめて、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方に、ほめ歌をうたう者になるというのですね。
 
 
 そして、「彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配する(管理し治める)ように」(創世記126後半)と言われているように、
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方と一つ思いになり、
この方の思いを受けて、それを地にもたらす者として用いていただけるのだそうです。
 
 これを認めた者は、自分の置かれている環境、持っているもの、すべては、天の神主から預かっているもので、管理を任されているものと受け取り、イエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方によって、「父である神」の御思いを心に置いていただいて、「父である神」の御思いを受けて、御思いのとおりに預かっているものを用いていくようになるのだそうです。
 
 それで、イエスの弟子たち、信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にし、必要に従って用いたので、彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかったのだそうです(使徒43237)。
 
 私たち、ペテロのように、「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちはなにがいただけるのでしょうか」(マルコ10:28~31、マタイ19:27)と言うような者です。
 
 けれども、今持っているものを天の神、主から預かっているものとし、イエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、御思いを心に置いていただいて、その御思いのとおりにこれを用いていくなら、
天の神、主の御前に帰ったとき、「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、わたしはあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」(マタイ252123)と喜んでいただける者にしていただけるのだそうです。
今日。
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