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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

弱い者におもねり、強い者にへつらうばかりの心に、公正な心を

あなたは弱い者を偏(かたよ)ってかばったり、
  力ある者におもねってはならない。レビ記1915
 
 栄光に満ちた、私たちの主イエス・キリストを信じながら、
人を分け隔てしてはなりません。ヤコブ書21
 
 申命記26111 
 エレミヤ書1110
      (ローズンゲン日々の聖句8/29;月)
 
 私自身である、私の「生まれたときからの霊」から出て来る思いは、公正な思いではなく、人に気に入られようとする思いで、弱い者をかばい、おもねり、あるいは、力ある者にへつらう思いです。
 
 人をえこひいき、分け隔てし、金持ちや、力のある人、この世の立派な人を喜び、ていねいに接し、貧しい人や弱い人を冷たく、ぞんざいに扱う(ヤコブ2:1~9)。
 
 天の神、主、「わたしはある」という方は、この方が与えてくださった恵みを在留異国人、みなしご、やもめと分け合い、喜びを分け合ってほしいのだそうですが、その御思いが 「聖である霊」と呼ばれる方をとおして、受け入れる者の心に来るのだそうです(申命記261112)。
 
 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方が、若い祭司であったエレミヤを預言者として召し出されたとき、言われた言葉は、
「わたしがあなたを遣わすどんなところにでも行き、
わたしがあなたに命じるすべての事を語れ」、
「今、わたしのことばをあなたの口に授けた」というものでした(エレミヤ179)。
 
 
 イエスは、「わたしはわたしを遣わした方(父である神)から聞いたことをそのまま世に告げるのです。
わたしはわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話しているのです」と言っておられます(ヨハネ82628)。
 
 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たちひとりひとりを通しても、してほしいと思っておられることがあるのだそうです。
 
 その御思いを、イエスの十字架刑での処刑と復活を通して来てくださる「聖である霊」と呼ばれる方によって、受け入れる者の心に 置いてくださり、受け入れる者を同じ思い、一つ思いを思うようにしてくださるのだそうです(エゼキエル362528、使徒214)。
 
 天の神、主は、私たちに、その御思いについていく者に、「わたしが行うわざを行う」者、同労者になってほしいのだそうです(ヨハネ1412)。
今日も。
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