風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

おさなご、乳飲み子の口によって、

天に輝くあなたの威光をほめたたえます。

    幼子(おさなご)、乳飲み子の口によって。

  あなたは刃向かう者に向かって砦を築かれます。詩編8:3

 

 子どもたちをわたしのところに来させなさい。

妨げてはならない。

神の国はこのよう者たちのものである。マルコ10:14

 

 フィレモン書1~22

 エレミヤ書2:1~13

      (ローズンゲン日々の聖句8/31;水)

 

 天でたたえられている神の威光が、まだ、自分の理性で善悪を判断しない幼子(おさなご)、乳飲み子の口によってほめたたえられることが、刃向かう者に向かっての砦となり、敵対する者の心を静め、敵が恥じ入って口をつぐむことにもなるようです。

 

 イエスも、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れてきたとき、

これをしかった弟子たちに憤って言われたのだそうです。

 

 「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。

神の国は、このような者たちのものです。

まことに、あなたがたに告げます。

子どものように神の国を受け入れる者でなければ、

決してそこに、入ることはできません」(マルコ10:13~15)と。

 

 

 使徒パウロも、逃亡した奴隷、オネシモを赦し、受け入れてくれるようにと、ローマの獄中からフィレモンに書き送った手紙の中で言っています。

 

 「私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、

むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。

私は、彼を私のところにとどめておき、福音のために獄中にいる間、

あなたに代わって私のために仕えてもらいたいとも考えましたが、

あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。

それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、

自発的でなければいけないからです」(フィレモン書1~16)と。

 

 

 神の民として特別に取り分けられたイスラエルにおいても、

実り豊かな地に入り、良い実を食べて満腹するにしたがって、

初めのころの誠実、婚約時代のような愛を忘れて、

栄光の神を、神でない、無益な、神々と言われるものと取り替え、

立ち返るよう呼びかける声を聞こうともせず、自分の思う道を突き進んでいくばかりだったのだそうです(エレミヤ2:1~13)。

 

 

 「神のひとりのようになろう。善悪を知る者になろう」(創世記3:5、22)とした私たち人間は、

「こう、あるべきだから」とかの、理性の判断によって本心をおおい隠し、

口先だけの、うわべだけの言葉を出す者でもあるようです。

 

 けれども、おさなご、乳飲み子は、まだ、そのような理性が働かないので、

本心が言葉になって出てくるということでしょうか。

 

 

 天の神、主、「わたしはあるという者だ」と名乗られる方は、

自分たちがそうであるように、

強制されてではなく、「こうあるべきだから」というのでもなく、

本心から、自由意思で、自発的にしてくれることを望んでおられるのだそうです。

 

 「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になった私たち人間の本心は、

天の神、主に対抗し、自分を神よりもえらい者とし、

自分の理性の判断のとおりに周りを従わせ、動かして行こうとするものなのだそうです。

 

 それは、反逆罪として処罰を受けるものなのだそうです。

それで、私たちを救うために、御子である神と呼ばれる方が、人間イエスとして人の世に来られ、

すべての人のすべてのそむきの罪を背負って、身代わりとなって十字架刑での処刑を受けてくださって、

受け入れる者の「生まれた時から霊」を処刑済みとして、死亡手続きを済ませてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、受け入れる者に、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、

この方によって「父である神」が一人一人に思っていてくださる御思いを、

受け入れる者の心に書き付けてくださり、

この部分において、「父である神」と同じ思いを思い、同じ心、一つ心にしてくださるので(エゼキエル36:25~31)、

本心のままで神と同じ思いを思う者としていただけるのだそうです。

 

 律法によって、外側から人を変える、旧い契約のやり方ではなく、

内側から、心が、本心が、取り替えられ、一新されるように(ロマ12:2)してくださり、

「生まれた時からの霊」から来る思いを十字架刑で処刑された、死んだ者から来た思いとして、

これを横に見ながら、

「聖である霊」から来る思いによって、新しく生きるようにしてくださるのだそうです(ガラテヤ5:24~25)。

今日も。

 

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