風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

剣に替えて祝福を

アブネルはヨアブに呼びかけて言った。
「いつまで剣の餌食とし合うのか。
悲惨な結末になることを知らぬわけではあるまい。サムエル記下226
 
 イエスはペトロに言われた。
「剣をさやに納めなさい。
剣を取る者は皆、剣で滅びる。」マタイ2652
 
 コロサイ書12429
 (通読箇所)ルカ71823
    (ローズンゲン日々の聖句1/27:金)
 
 これは、サウル王の子、イシュ・ボシェテの側の将軍アブネルが、勝敗ははっきりしたのになお追撃して来るダビデの側の将軍ヨアブに呼びかけた言葉なのだそうです。
 
 ゲツセマネの園で、ペテロは剣を抜いて、イエスを捕えに来た一隊の、マルコスという大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落としたのだそうです。
その時、イエスはこのように言われ、その耳にさわって彼をいやされたのだそうです。
 
 イスラエルの人々は、ローマ軍と戦い、ローマ軍を打ち破ってダビデの王国を再建してくれるキリストを待ち望んでいたようです。
しかし、イエスは、剣を取る方向には進まれなかったのですね。
むしろ、目の見えない者を見えるようにし、
足のなえた者が歩けるようにし、
ツァラート(ハンセン病とか重い皮膚病)に冒された人をきよめ、
耳の聞こえない者を聞こえるようにし、
死人を生き返らせ、
貧しい人々に福音を伝えていったのだそうです(ルカ722)。
 
 そして、自分からすすんで、私たちすべての人間の身代わりとなり、すべての人のそむきの責任を引き受けて十字架刑で処刑されたのだそうです。
 
 そして、ローマ兵によって槍で突き刺されて死亡していることが確認された後、その死体は、隠れた弟子であり、ユダヤ最高議会の議員のひとりであったアリマタヤのヨセフに引き渡されたのだそうです。
そして、既に夕方になり、日没になると安息日が始まるので、急いで、近くにあった、ヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られたのだそうです。
 
 それは金曜日の夕方の事でした。
そして、三日目、日曜日の早朝、マグダラのマリヤと何人かの婦人たちが香料を持って墓に行ってみると墓にイエスの死体はなく、天使が現れてイエスは復活したと告げたのだそうです。
それで、墓から戻って弟子たちにこのことを報告したのですが、男の弟子たちには〔女のたわごと〕のように思われ、信用してもらえなかったのだそうです。
 
 そんな弟子たちのところへイエスは現れ、確かに復活し、生きていることを見せ、40日に渡って何度も現れて神の国のことを語ったのち、オリーブ山から、弟子たちの見ている前で雲に迎えられ、天の〔父である神〕の右の座、神の御子の位に帰られたのだそうです。
エルサレムから離れないで、父の約束を待ちなさい。
もう間もなく、あなたがたは聖霊のバブテスマを受けるからです」と言い残して。
 
 それから10日後のペンテコステ五旬節)の祭りのとき、集まっていた120人ばかりの弟子たちに、その〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られ、弟子たちは〔聖である霊〕と呼ばれる方が語らせられるままに大胆に語りだしたのだそうです。
 
 このイエスによる救いの出来事がエルサレムから始まって、ユダヤとサマリヤの全土、そして、今、東の果てである日本の私たちのところにまで伝えられているのですね。
 やがて、天の神、主の前に出るとき、完全な者としてたつことができるようにと(コロサイ1:28)
 
 剣に替えて平和を、復讐は神にゆだねて自分に害を加える者を祝福する、〔聖である霊〕と呼ばれる方による、天の神、主と思いを一つにしていく新しい生き方が。
今日も。
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