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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

とがをことごとく洗い、罪から清めて

わたしの咎をことごとく洗い、
  罪から清めてください。詩編514
 
 憐れみ豊かな神は、私たちをこの上なく愛してくださり、
その愛によって、
罪のために死んでいた私たちを
キリストとともに生かしてくださいました。エフェソ書245
 
 黙示録15:1~4
 ルカ72435(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句1/28:土)
 
 天の神、主、「わたしはあるという者」と言われる方は、憐れみ豊かな方なのですね。
 私たち、自分の罪過と罪の中に死んでいる者であって、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいる者でした。
自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、生れながら御怒りを受けるはずの者だったのですね。
 
 けれども、天の神、主は、そのような私たちを見放さず、求め続け、追いかけ続けて下さっているのだそうです。
 
 そして、〔御子である神〕が、すべての人のすべてのそむきの責任を負って、その刑罰を受けるために人間イエスとして人の世に来られ、反逆者として十字架刑での処刑を受けてくださり、
私たちがこのままで赦してもらえる道を開いてくださったのだそうです。
 
 イエスは、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」となって、天の神、主に対抗するばかりの私たちの〔生まれたときからの霊〕をご自身の処刑に合わせて、処刑されたもの、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。
 
 そして、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださるのだそうです。
この方は、受け入れる者の心に、〔父である神〕が私たちひとり一人に思っておられる御思いを来させてくださるので、受け入れる者は新しく生まれた者として、イエスと共に〔神の子〕の身分を与えていただけ、家族として御父と思いを一つにしながら生きる者にしていただけるのだそうです(エペソ26)。
 
 そして、天の御国に移ったときには、御前で、私たちを贖(あがな)(買い戻す)代価としていのちをささげてくださったイエスをほめたたえる者の仲間に加えていただけるのだそうです(黙示録1514)。
 
 自分自身である〔生まれたときから霊〕から出て来る思いを死んだものから来た思いとして横に置き、〔聖である霊〕から来る御思いを自分の思いとして生きるのですね。
今日も。
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