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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

「この私の力が、この富を築きあげた」と思うのですね。私たち。

あなたが食べて満足し、
りっぱな家を建てて住み、
心おごり、
あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。申命記81214
  
 いったいあなたの持っているもので、
いただかなかったものがあるでしょうか。
 
 もしいただいたのなら、
なぜいただかなかったような顔をして
高ぶるのですか。Ⅰコリント47
 
 Ⅱコリント3:(9111218
 ルカ84056(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句2/6;月)
 
 私たち、豊かな生活が送れるようになると、また、成功し、ことが順調に進んでいると、つい、心高ぶり、「この私の力で、自分の手の力でこの富を築きあげたのだ」と、心に思う思いが涌きあがって来る者のようです。
 
 しかし、天の神、主は、パウロを通して言われます。
「あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。
もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」と。
 
 天の神、主は、この天と地、宇宙の星々と地球の自然環境、これらを人間の住まいとして、私たち人間が快適に過ごせるようにと、創造し、用意してくださったのだそうです(イザヤ45:18)。
そして、準備万端、用意が整ったところで、人間を創造されたのだそうです。
 
 また、私たちの理性が正しく働き、判断ができていることも自分自身によることではないようですね。
もし、天の神、主が、支えの御手をちょっとでもゆるめるなら、私たちの理性も狂った者になってしまうようです(ダニエル42837)。
 
 私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る者になろう」(創世記3522)としたアダムの子孫は、天の神、主に対抗し、天の神、主の位の上に自分の位を置こうとするサタンの性質を受け継ぐ者で(イザヤ141314)のようです。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方によって造られ、この方から、自分の存在に必要なもののすべてをいただいていながら、まるで、何ももらっていない、全部、自分で用意したかのように、自分の力で得たかのように思い上がる者のようです。
 
 私たちは、自分が、そのように、天の神、主にそむくものであることを知って、認めて、天の神、主が、差し出していてくださる〔イエスの十字架刑での処刑〕を、自分の〔生まれたときからの私〕という霊の処刑として受け取っていいのだそうです。
 
 そして、墓に葬られ、三日目に墓より、新しい〔霊のからだ〕に復活され、40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語り、弟子たちが見ている前で、オリーブ山から天の〔父である神〕の右の座、〔神の御子〕の位に帰られたイエスは私たちにもうひとりの助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。
 
 この方は、〔父である神〕が私たちひとり一人に思っておられる御思いを私たちの心に置いてくださるので(エゼキエル36:25~31)、受け入れる者は、この部分において、〔父である神〕と同じ思い、一つ思いになって、〔父である神〕がその人を通してしようと思っておられることをしていく者にしていただけるのだそうです(ヨハネ14:12)。
 
 この方について行くとき、私たちは、自由な者とされ、鏡のように主イエスの栄光を反映させながら、栄光から栄光へと主イエスと同じ〔かたち〕(創世記126)、〔御子である神〕が〔父である神〕ともっておられる同じ関係を持つ者に変えていただけるのだそうです。
御霊なる主は働いておられるのだそうですから(Ⅱコリント31718)。
今日も。
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