風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の安息にあずかってほしいと

 その世代が皆絶えて先祖のもとに集められると、
その後に、主を知らず、
主がイスラエルに行われた御業も知らない
別の世代が興った。
士師記2:10

 

 イエス・キリストのことを思い起こしなさい。
この方は、ダビデの子孫で、
死者の中から復活されたのです。
Ⅱテモテ2:8

 

 創世記2:1~3
 サムエル記下15:13~37(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/18;土)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方の大いなる御業によって
エジプトの国を脱出し、
荒野での40年間の生活の中で神の御業を見たイスラエルの人たち、
モーセの後を継いだヨシュアによって約束の地に入り、
自分たちの相続地を得ました。

 

 けれども、指導者ヨシュアとその世代の人たちが死に、
新しい世代になったとき、
彼らは神である主を知らず、
主の御業も体験したことのない人々で、
自分の善いと思うとおりに先住民の神々を拝むようになったのですね。

 

 神は天地創造、人間を創造するわざを六日間で完了し、
第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられたのだそうです。
なさっていたすべてのわざを休まれて。
第七日目を祝福し、この日を聖であるとされたのですね。

 

 そして、この安息の中に
私たちも入らせようとしていてくださるのだそうです。
「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない」
とおっしゃられて(ヘブル4:1~11)。

 

 だから、ダビデの子孫として生まれ、
私たちの身代わりとなって十字架に架かられ、
死者の中から復活されたイエス・キリストをいつも思っているのですね。

 上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰しておられる
エスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いの中で生き、
神を体験しながら生きる生き方しながら(ヘブル8:8~12、10:16)。

今日も。

 

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神の、驚くべき、大いなる御業の中へと

 主の計らいは驚くべきもので、
大いなることを成し遂げられる。
イザヤ書28:29

 

 イエスは言われた。
「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
『家を建てる 者の捨てた石、
これが隅の親石となった』」
マタイ21:42

 創世記1:20~23
 サムエル記下12:1~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/16;木)

 主は御使いに命じて、
あなたの道をのどこにおいても守らせてくださる。
彼らはあなたをその手にのせて運び、
足が石に当たらないように守る。
詩91:11~12

 天使たちは皆、奉仕する霊であって、
救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、
遣わされたのではなかったですか。
ヘブル1:14

 

 創世記1:24~31
 サムエル記下15:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/17;金)


 天の神、主、
「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方は、
私たちのために驚くような御計画を立てられたのですね。

 「われわれのかたちとして、われわれに似せて」と、
「われわれ」、ご自分たちが、
愛をもって、自由意思で自発的に思いを一つにし、
行動を一つにし、存在を一つにしておられる、
その一つに加わる者を造ろうと、
私たち人間を創造することをご計画されたようです。

 

 そして、予想される、人間が、その自由意思のゆえに
自分たちから離反してしまった場合にはどうしようか、と。

 

 【御子である神】が、
「その場合は、
わたしが人となり、人の身代わりとなって、
人の「的外れ」の責任を負って処刑を受けましょう」と申し出られ、

 

 さらに【聖である霊】と呼ばれる神が、
「わたしが、【御子である神】の処刑を自分の処刑と受け取った者へ行って、
その心に【父である神】の御思いを置き、
受け入れる者の心に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者がわれわれと一つ心になれるようにしましょう」と申し出られて、
人を造る計画が実行されることになった、ということのようです。

 

 神はまず、人の住まいとして天地万物を創造されたのだそうですが(イザヤ45:18)、
その五日目には、
「水には生き物が群がれ。鳥が地の上、天の大空を飛べ」と仰せられて、
海の巨獣と、種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、
種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造されたのだそうです。
「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は地にふえよ」と祝福され。

 

 六日目には、
「地が、種類にしたがって、生きる物を生ぜよ。
家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって」と仰せられて、
種類にしたがって野の獣を、
種類にしたがって家畜を、
種類にしたがって地のすべてのはうものを造られて。

 

 そして、すべての準備が完了して、いよいよ、
「さあ、人を造ろう」と。

 けれども、予想されたとおりに、
最初の人アダムとエバは、与えられた自由意思で、神との一つを離れ、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5,22)、

神に背き、対立、対抗する者、「的外れ」な者となったのですね。

 

 神は、その「的外れ」になった人間を廃棄処分することを善してせず、
人間を贖(あがな)う、買い戻すための、その計画を
この人間の歴史の中で実行されたのだそうです。

 

 その時が満ちて、
【御子である神】が聖書に書かれているとおりに、「女の子孫」として(創世記3:15)、
ダビデの家系のひとりの処女マリヤの胎を通して(Ⅱサムエル7:13、ルカ1:26~27、3:23~31)
ベツレヘムで(ミカ5:2、ルカ2:1~7,21)、人として生まれられたのですね。

 

 そして、およそ33歳の頃、ご計画のとおりに十字架刑での処刑を受けられた。

「家(石造りの)を建てる者が捨てた石」、
当時のユダヤの宗教的、政治的指導者たちから見捨てられて、
十字架刑で処刑さたイエスが、
「隅の親石」、すべての人間の救いの基礎となったというのですね。

 

 自分の「的外れ」を認め、神に帰って来るものを処刑済みとし、
神との一つを回復すようにと。

 

 預言者ナタンの指摘により、
自分の罪を認めたダビデを赦されたように(Ⅱサムエル12:1~25)。

 

 そして、神は、私たちのこの地上での歩みを、
御使いを遣わして守ることもしてくださるのだそうですから。

 

 この、驚くべき、大いなる御業の中へと。
今日も。

 

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言い表し、明るい、光の中の出来事にしていただき

背(そむ)きの罪は私たちと共にあり、
私たちは自分の咎(とが)を知っている。
主に対して偽り背き、
私たちの神から離れ去ることを。イザヤ書59:12~13

 自分の罪を公に言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、
あらゆる不義から私たちを清めてくださいます。Ⅰヨハネ1:9

 創世記1:14~19
 サムエル記下11:1~27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/15;水)

 私たち、人間は、
天の神、主、
「『わたしはある(
I am)』という者」と名乗られる方によって
造られたもの、なのですね。

 

 「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして。
われわれに似せて」と仰せられて(創世記1:26)。

 

 愛において、
自由意思で、自発的に
一つになることを願う者を、と。

 

 愛は、愛する相手と心を一つにし、
行動を一つにし、存在を一つにしたいと願うものなのだそうですから。

 

 けれども、最初の人、アダムが、
造り主、天の神、主との一つの場にとどまることを善しとせず、
もっと素晴らしい者に、
神のようになろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)以来、
私たちは、この神の創造の目的から
「的外れ」になったものとして生まれて来ています。

 

 神に背き、神に対立、対抗して、
自分一人の理性の判断で事の善し悪しを決定していく者、
そして神から身を隠す者に(創世記3:7~8)。

 

 ダビデが、王としての地位が安定したとき、
自分の好ましいと思う思いのままに、
戦場に出て留守中の忠実な部下ウリヤの妻を召し入れ、
身ごもったのを隠すために
ウリヤを戦場から呼び戻し家に帰らせようとしたけれど、
ウリヤは、
「私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。
それなのに、私だけが家に帰り、
飲み食いして、妻と寝ることができましょうか」と、
王宮の門のあたりで、自分の主君の家来たちといっしょに眠り、
家に帰ろうとしなかったのだそうです。

 

 それで、ダビデは、将軍のヨアブ宛に
「ウリヤを激戦地に出し、戦死させるように」との手紙を書き、
ウリヤに持たせて戦場に送り返し、ウリヤを戦死させて
自分の不倫を隠そうとしたように(Ⅱサムエル11:1~27)。

 

 その、「的外れ」の者の集まりでは、
公義は私たちから遠ざかり、
義は私たちに追いつかず、
光を待ち望んだが、見よ、やみ。
輝きを待ち望んだが、暗やみの中を歩む。
私たちは盲人のように壁を手さぐりし、
目の見えない者のように手さぐりする。
真昼でも、たそがれ時のようにつまずき、
やみの中にいる死人のよう。
熊のようにほえ、鳩のようにうめく。
公儀を待ち望むが、それはなく、
救いを待ち望むが、それは私たちから遠く離れている(イザヤ59:9~11)、
のですね。

 

 けれども、天の神、主は、
私たちが自分の罪、「的外れ」の存在を認めて、
公に言い表すなら、
その罪、「的外れ」を赦し、
あらゆる不義から私たちをきよめてくださるのだそうです。

 

 私たちの「的外れ」の責任、不義のすべてを御子イエスの上に置いて、
この方を神に背いた者、神に呪われたものとして十字架刑で処刑し、
「的外れ」、「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうですから。

 

 そのうえで、【父である神】は、
墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、死人のうちから新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語らせたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのですね。

 

 そして、このイエスの十字架刑での処刑による、
〔生まれたときからの私〕という霊の死をを受け取った者に、
このイエスを通して、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によってご自身の御思いを私たちの心に置き、
受け入れる者がご自身と一つ思いを思い、
一つ心になるようにしてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
受け入れるものの心を一新して(ロマ12:1~2)。

 

 私たちを照らし、明るい光の中を歩むようにと。
天地創造の4日目、太陽と月と星が地上を照らし、
昼と夜とをつかさどり、
光とやみとを区別されたように(創世記1:14~19)。

 

 私たちも、自分の罪、「的外れ」を認め、
御前に言い表し、
見ていただき、知っていただいて、
私たちの思いが神の中にあるようにしていただき(ヨハネ17:21)、
明るい、光の中の出来事としていただきながら。

今日も。

 

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豊かな報いの約束、あなたは?

 ボアズはルツに言った。
「主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに
十分に報いてくださるように。」
ルツ記2:12

 

 パウロの手紙:
ケンクレアイの奉仕者でもある、
私たちの姉妹フェベを紹介します。
聖なる者たちにふさわしく、
また、主に結ばれている
(主にある)者らしく彼女を迎え入れ、

どんなことでも助けてあげてください。ロマ書16:1~2

 創世記1:9~13
 サムエル記下7:17~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/14;火)


 天の神、主、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
ご自身のもとに逃れて来た者を守り、
充分に、豊かに報いてくださる方なのですね。

 

 夫も、二人の子どもも失い、国に帰ろうとする義母、
ナオミから離れて自分の民の所へ帰ろうとはせず、
「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。
あなたの行かれるところに私も行き、
あなたの住まれるところに私も住みます。
あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
あなたの死なれる所で私は死に、そこで葬られたいのです」と、
異邦人、モアブの女でありながら、
何もかもなくして国に帰る義母、直美と共に
ユダのベツレヘムに帰って来た嫁のルツ。

 

 天の神、主は、親戚のボアズを通して豊かに扱ってくださり、
ダビデ王の曾祖母として、
イエス・キリスト系図に名を連ねることにもしてくださったのですね。

 

 使徒パウロは、ローマに行くフィベを
ローマにいる信仰の仲間たちに推薦、紹介して、
主イエスにあってこの人を歓迎し、
助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてくださいと
手紙に書き送っています。

 

 神が天と地を創造されたとき、
最初、地球は全面、水に覆われていたのでしょうか。

 

 神が、「天の下の水が一所(ひとところ)に集まれ。
かわいた所が現れよ」と仰せられると、そのようになり、
地と海が分かれたのだそうです。

 

 また、「地が植物、
すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、
種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ」と仰せられると、
そのようになったのだそうです(創世記1:9~13)。

 

 ダビデは言いました。
「神、主よ。
私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、
あなたはここまで私を導いてくださったのですか。
神、主よ。この私は御目には取るに足りない者でしたのに、
あなたは、このしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。

 今、どうぞあなたのしもべの家を祝福して、
とこしえに御前に続くようにしてください。
神、主よ。あなたが約束されました。
あなたの祝福によって、
あなたのしもべの家はとこしえに祝福されるのです」(Ⅱサムエル7:18~19、29新改訳)。

 

 しかし、私たちはこのダビデへの約束が部分的には実現していますが、
完全には成就していないのを見ています。

 

 それは、あの、ベツレヘムに生まれ、ナザレ村で育たれたイエスが、
三度目に来られる時、
エルサレムが世界連合軍に攻撃され、今、まさに壊滅しようとする、その時、
エスがオリーブ山に立たれ(ゼカリヤ14:1~5、黙示録19:11~)、
エルサレム入城されるそのとき、
この神の約束は完全に成就する、ということのようです。

 イエスは、二度目は、
私たちを天に引き上げ、
迎えるために来られるのだそうですから(Ⅰコリント15:50~52、Ⅰテサロニケ4:14~17)。

 

 その日を待ち望んで、
御翼のもとに逃げ込み、
【聖である霊】と呼ばれる方によって
エスのうちにいる者、
思いを一つにする者にしていただきながら(ヨハネ17:21~22)。

今日も。

 

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新しく創造された私、を、もらいませんか。

 キリストと結ばれる人は
だれでも、新しく創造された者なのです。
Ⅱコリント5:17(5/12の週の聖句)

 

  主は恵み深く、
苦しみの日には砦となり、
主に身を寄せる者を御心に留められる。
ナホム書1:7

 

 私たちは、
四方から苦しめられても行き詰まらず、
途方に暮れても失望しません。
Ⅱコリント4:8

 

 ヨハネ15:1~8
 詩103(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/12;Ⅱ日曜)


 日の出る所から日の入る所まで、
諸国の間でわが名はあがめられる、
と万軍の主は言われる。
マラキ書1:11

 

 すべての舌が、
イエス・キリストは主である」と公に宣べて、
父である神をたたえるのです。
フィリピ書2:11

 

 創世記1:6~8
 サムエル記下7:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/13 ;月)


 イエスは、
これから、ご自分が捕縛され、
明日には、十字架刑での処刑を受けることになる、
その夕食の席で、【父である神】に祈られました。

 

 「それは、父よ、
あなたがわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになるためです。
わたしたちが一つであるように、
彼らも(わたしたちと)一つであるためです」(ヨハネ:17:21~22)と。

 

 【父である神】は、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
私たちの生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせてくださって、
処刑済みのもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、墓に葬られ、
三日目、日曜日早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語った後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の助け主(ヨハネ14:16)、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださるのですね。

 

 そして、この方によって、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを
私たちの心に置いてくださり、
ご自身の御思いが私たちの心にあるようにしてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 また、私たちがイエスの十字架刑での処刑を通して、
心に去来する思いの一つ一つを
【父である神】の御前に差し出し、
見ていただき、知っていただいて、
何一つ、隠していることのない明るい関係、光のうちに入れてくださって、
私たちの思いが、
「わたしたち」、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神のうちに
あるようにしてくださるのだそうです。

 

 この、私たちの、
これを受け取り、イエスと結ばれる、
エスの内にあるようにしていただいている部分は、
神と一つにされた、新しく創造された部分なのですね。

 

 それで、砦のような神の守りの中にあって、
苦しめられても、窮する、困り切ることはなく、
途方にくれますが行き詰り切ることはないのですね。

そのままで、一歩踏み出してみれば、次の一歩を開いてくださり、
いつしか、通り過ぎているようにしてくださるのだそうですから。

 

 それで、この方は、日の出る所から日の入る所まで、
すべての所であがめられるのですね。
私たちも、「イエス・キリストは主である」と告白して。

 

 この方が、この世界の初め、天と地を創造されたとき、
「大空が水の真っただ中にあれ。
水と水との間に区別があれ」と仰られると、
そのようになったのだそうです(創世記1:6~8)。

 

 そして、ダビデが神の家を建てたいと申し出たとき、この方は言われました。
「わたしはあなたのために一つの家を造る。
あなたの日数が満ち、
あなたが先祖たちとともに眠るとき、
わたしはあなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、
彼の王国を確立させる。
わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。
あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、
あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(Ⅱサムエル7:1~16)と。

 

 この、ダビデの系列のマリヤの胎を通して人となられた方、
ナザレ村のイエス

 

 この方が三度目に来られて樹立される王国はとこしえに続くというのですね。

 

 それで、私たちも、
イエス・キリストは主である」と公に告白するすべての人々と共に
「わがたましいよ。【主】をほめたたえよ」(詩篇103)とうたいながら。

今日も。

 

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平安とか、祝福、ありますか?

主が御顔をあなたに向けて、
あなたに平安を賜るように。
民数記6:26

 

 あらゆる人知を超える神の平和が、
あなたがたの心と考えとを
キリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピ書4:7

 

 ヨハネ14:1~6
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 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
アロンとその子らに
このように祝福して言いなさいと言われました。

 

 「『【主】があなたを祝福し、
あなたを守られますように。
【主】が御顔をあなたに照らし、
あなたを恵まれますように。
【主】が御顔をあなたに向け、
あなたに平安を与えられますように。』

 

 彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、
わたしは彼らを祝福しよう」(民数記6:23~27新改訳)と。

 

 また、使徒パウロを通しても言われます。
「何も思い煩わないで、
あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いを
キリスト・イエスにあって守ってくれます」(ピリピ4:6~7)。

 

 イエスは、間もなく、
ご自身が捕らえられ、処刑され、死んでしまう出来事に遭遇して、
心騒がせることになるであろう弟子たちに言われました。

 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。
あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいるところに、あなたがたもおらせるためです。

 わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ14:1~6)。

 

 私たちも、イエスのいるところに、
エスと一緒にいる者にしていただき、
エスを通して、
【父である神】の御前にはばかることなく出て行き、
信仰のない、
自分一人で思い煩う心を
隅々まで見ていただき、知っていただきながら、
神の祝福と平安の中を進むのですね。

 

 天の神、主が、
神の箱を受け入れた
オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福されたのを見て、
ダビデも安心して、
神の箱の前で力の限り踊りながら、
神の箱をダビデの町にかつぎ上らせたように(Ⅱサムエル6:9~19)。

 

 イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父】と思いを一つにしている平安と祝福の中で。

今日も。

 

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御使いを、私たちの行く先に派遣して

 アブラハムは僕に答えた。
「主は、
お前の行く手に御使いを遣わしてくださる。」
創世記24:7

 

 天使は婦人たちに言った。
「恐れることはない。
十字架につけられたイエスについて、
急いで行って弟子たちに告げなさい。
『死者の中から復活された。
そしてガリラヤに行かれる。
そこでお目にかかれる』と。」
マタイ28:5、7

 

 マタイ26:30~35
 サムエル記下5:17~25(通読箇所)
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 アブラハムが、
一人息子イサクのために嫁を迎えるべく、
アラム・ナハライム(メソポタミアの北部の地方)へ、しもべを遣わすとき、
このように言って送り出したのだそうです。


 そして、天の神、主は、
このアブラハムのことばのとおりに、このしもべを導いて、
アブラハムの兄弟ナホルの子、ベトエルの娘のリベカと
出会うようにしてくださったのだそうです。

 

 イエスは、最後の晩餐となった過ぎ越しの食事をしたあと、
オリーブ山に出かけたのですが、
そのとき、弟子たちに言われたのですね。
「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。
『わたしが羊飼いを打つ。すると羊の群れは散り散りになる』(ゼカリ13:7)
と書いてあるからです。
しかし、わたしは、よみがえってから、
あなたがたよりも先に、ガリラヤに行きます」と。

 そして、「たとい、全部の者がつまずいても、
私は決してつまずきません」と言うペテロに、
エスは言われました。
「まことに、あなたに告げます。
今夜、鶏が鳴く前に、
あなたは三度、わたしを知らないと言います」(マタイ26:30~35)と。

 

 そして、その言葉のとおりに、
ゲツセマネの園でイエスが捕縛されたとき、
弟子たちは逃げ去って散り散りになり、
エスのあとを追って、
エスの裁判がなされている大祭司の庭まで忍び込んだペテロは、
そこで、女中や下役たちから「あなたもあのイエスの弟子だ」と言われて、
三度、誓ってまでイエスを知らないと言ったそのとき、
鶏が鳴いたのだそうです。

 

 そして、十字架刑で処刑されたイエスのからだを、
隠れ弟子であったアリマタヤのヨセフがピラトに願い出て引き取り、
近くにあった、自分のために掘ってあった墓に葬ったのですが、

 三日目、日曜日の明け方近く、
マグダラのマリヤたち、数人の婦人たちが墓に行ってみると、
そこにイエスのからだはなく、
光り輝く衣を着た青年が彼女たちに伝えたのですね。

 「あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、
私は知っています。
ここにはおられません。
前から言っておられたように、よみがえられたからです。
ですから、急いで行ってお弟子たちにこのことを知らせなさい。
エスがよみがえられたこと、
そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、
あなたがたは、そこで、お会いできるということです」(マタイ28:1~7新改訳)と。

 

 そして、その言葉のとおりに、
弟子たちはガリラヤ湖
新しい霊のからだに復活したイエスと会うことになったのですね(ヨハネ21:1~14)。

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
これからしようと思われることを、まず、私たちに告げ、
そして、そのことばのとおりを実行なさる方なのだそうです(アモス3:7、ピリピ2:13)。

私たちに、同労者になってほしい、と。

 ダビデが、
ダビデをねらって攻め込んで来たペリシテ人との戦いで、
天の神、主にお伺いし、
天の神、主は、そのことばのとおりに
ダビデに勝利を与えられたように(Ⅱサムエル5:17~25)。

 

私たちにも、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちの心に御思いを置いて。
今日も。

 

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