呪いも、すべて、祝福に変えて下さるのだそうですね。あの方。
私たちの神は、
その呪いを祝福に変えてくださった。ネヘミヤ記13:2
その呪いを祝福に変えてくださった。ネヘミヤ記13:2
つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、
人々の罪の責任を問うことなく、
和解の言葉を私たちにゆだねられたのです。Ⅱコリント5:19
人々の罪の責任を問うことなく、
和解の言葉を私たちにゆだねられたのです。Ⅱコリント5:19
(ローズンゲン日々の聖句10/5;月)
私たちが受けるはずの呪いを、天の神、主は、御子である方を人間イエスとして人の世に生まれさせ、この方の上に置き、私たちに代えて、この方を十字架刑で処刑されたのだそうです。
その上で、私たちに和解を提案してくださり、イエスの義を着せようと招待してくださって、私たちの上にある呪いを、イエスにある祝福と取り換えようとしていてくださるのだそうです。
私たちのそむきの責任はイエスに問うて、私たちには、ご自身のもとに帰って来て欲しいと、和解の言葉を言い送っていてくださっているのだそうです。
その上で、私たちに和解を提案してくださり、イエスの義を着せようと招待してくださって、私たちの上にある呪いを、イエスにある祝福と取り換えようとしていてくださるのだそうです。
私たちのそむきの責任はイエスに問うて、私たちには、ご自身のもとに帰って来て欲しいと、和解の言葉を言い送っていてくださっているのだそうです。
それで、この方からの和解の提案を受けることを潔しとせず、どこまでも、自分の責任は自分で負い、自分の力で生きていけていると思う人は、自分のそむきの罪をそのまま自分に問われることになるのでしょうが(マタイ22:11~13)、天の神、主は、この和解をすべての人に受け取って欲しいと懇願しておられるのだそうです(Ⅱコリント5:20)。
この和解をいただいた人たちは、天の神、主との親しい交わりの中に入れていただき、平安になり、思い煩いも全部この方に知ってもらいながら(ピリピ4:6)、互いに愛し合い、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働き、乏しいことがなく、品位を保ち、落ち着いた生活を送れるようになるのだそうですね(Ⅱテサロニケ4:9~12)。
今日も。
今日も。
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