私たちを慰め、守り、導いてくださる方を
わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰める者。
なぜ、あなたは恐れるのか、
死ぬべき人、草にも等しい人の子を。イザヤ書51:12
人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。
心の中でキリストを主とあがめなさい。Ⅰペテロ3:14~15
出エジプト3:13~20
使徒7:44~53(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句6/12;月)
私たち、人を恐れ、心を乱すものですが、
その、恐れている人は、死んでしまうもの、
永遠の神の目から見れば、朝には生え出でて、夕べには枯れてしまう草のようなもの。
恐れなければいけないのは、死んだあとの私たちに、生きて来た時の責任を問われる方。
私たちは、一人残らず、この方の御前に出て申し開きをしなければいけないのだそうですから。
神の御子の位を後にして、人となって、人の世に来られ、
私たちの身代わりとなり、
私たちのすべての「神のひとりのようになり、善悪を知る者」となっている「的外れ」の責任をご自身の身に負って、十字架刑で処刑を受けてくださり、
受け入れる者に〔聖である霊」と呼ばれる方を派遣して、
受け入れる者を新しく生まれさせ、
〔父である神〕と一つ思いになって生きさせてくださる方、
この方を救い主として受け入れ、あがめていけばいいのだそうですね。
レビの家に生まれ、エジプト王の命令で、イスラエル人の男の子はナイル川に投げ込まなければならないのに、3ヶ月間、隠して育てられたモーセ。
もう、隠しきれなくなり、水が入らないようにしたパビルスのかごに入れられ、ナイル川の葦の茂みの中に置かれ、エジプト王、パロの娘に拾われて、王女の子として育てられたのだそうです。
成人した時、エジプト人の奴隷となっている同胞、イスラエルを救おうと思ったのだそうですが、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか」と拒否され、エジプト王の怒りを恐れてミデヤンの地に逃れ、ミデヤン人イテロのもとに身を寄せて40年、荒野で羊を飼う者だったのだそうです。
その、失意のモーセに、天の神、主が、燃える柴の中で現れ、モーセをエジプトに遣わし、イスラエルの民を解放させようとしたのだそうです。
けれども、エジプト王を、そして、イスラエルの人々の拒絶を恐れるモーセが、私を遣わされた神の名を問われたとき、なんと答えればいいのですかと問うモーセに、
天の神、主は、「わたしは『わたしはある』という者である。『わたしはある』という方が、私をあなたがたのところに遣わされましたと言え」と答えられたのだそうです。
この方は、人が手で造った宮にはお隅にならない方。
「天は私の王座。
地はわたしの足の足台である。
あなたがたは、どのような家を私のために建てようとするのか。
わたしの休む所はどこか。
わたしの手が、これらのものをみな、造ったのではないか」と言われる方なのだそうです。
この方を主、「私の神」とし、
この方の導きと慰めの中にいればいいのだそうですね。
今日も。
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