風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

命の光の中を

主であるわたしは、
恵みをもってあなたを呼び、
あなたの手を取った。
イザヤ書42:6

 イエスの言葉:
わたしは世の光である。
わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、
命の光を持つ。
ヨハネ8:12

 ロマ書6:18~23
 ルカ14:7~14(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句10/2;月)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、預言者イザヤを通して言われます。
 見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、
わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々に公義をもたらす。
彼は叫ばず、声をあげず、
ちまたにその声を聞かせない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともなく、
まことをもって公義をもたらす。
彼は衰えず、くじけない。
ついには、地に公義を打ち立てる。
島々も、その教えを待ち望む。

天を造り出し、これを引き延べ、
地とその産物を押し広め、
その上の民に息を与え、
この上を歩む者に霊を授ける神なる主はこう仰せられる。
「わたし、主は、義をもってあなたを召し、
あなたの手を握り、
あなたを見守り、
あなたを民の契約とし、国々の光とする。
こうして、見えない目を開き、
囚人を牢獄から、
やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
わたしは主、これがわたしの名。
わたしの栄光を他の者に、
わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。
先の事は、見よ、すでに起こった。
新しい事を、わたしは告げよう。
それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう」(イザヤ42:1~9新改訳)と。


エスは言われます。
「わたしは、世の光です。
わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、
いのちの光を持つのです」(ヨハネ8:12新改訳)と。

 700年ほど前、イザヤによって預言された、地に公義をもたらす「世の光」、
それがわたしだと。

 イエスが受けてくださった十字架刑での処刑と
エスが死者の中から復活された出来事を通して、
私たちに来て下さる、「私の霊」、「神の霊」、「聖である霊」と呼ばれる方。
この方が心に置いてくださる〔父である神〕の私に関わる御思いによって生きる者は、
やみの中を歩くことがなく、いのちの光を内に持つようにしていただけると。


パウロは言います。
以前は、自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげ、不法に進んでいた私たちも、
このイエスによって、罪から解放され、義の奴隷としていただいたけて、
その手足を義の奴隷としてささげて、清潔に進むようになり、
永遠のいのちをプレゼントとして与えていただける者になる(ロマ6:18~23)と。

 そして、今の世で、報いを受け、人からの誉れを受けるよりも、
義人の復活の時にお返しを受けることを喜ぶようにも、してただけるのだそうですから(ルカ14:7~14)。

名前で呼んでいただき、
手を取って導くように、心を導いていただきながら、
永遠のいのちへと。
今日も。

 

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