風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

〔神の霊〕と呼ばれる方が、来てくださって

 見よ、わたしの僕、わたしの支える者を。
わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれる。
イザヤ書42:1

 イエスの祈り:
正しい父よ、世はあなたを知りませんが、
わたしはあなたを知っており、
この人々は
あなたがわたしを遣わされたことを知っています。
ヨハネ17:25

 サムエル記上16:14~23
 ヘブル書1:5~14(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句5/1;火)

 イザヤは、続けて預言しています。
「彼は国々に公義をもたらす。
彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともなく、
まことをもって公義をもたらす。
彼は衰えず、くじけない。
ついには、地に公義を打ち立てる。
島々も、そのおしえを待ち望む」(イザヤ42:1b~4、新改訳)、と。

 その、〔父である神〕から遣わされた僕、
〔父〕の御心を地にもたらすものとして、
エスは来られた方なのだそうです。

 ガリラヤ地方のナザレで、
大工をしながら家族に仕えておられたイエスが、
およそ30歳の頃、
キリストとしての公の働きを始められるとき、
ヨルダン川バプテスマのヨハネから洗礼を受けられたのですが、
そのとき、祈っておられるイエスに、天が開け、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が、鳩のように下って来られ、
そして、声があったのだそうです。
「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」マルコ1:10~11)。

 イエスについてのバプテスマのヨハネの証言はこうです。
「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。
私が、『私のあとから来る人がある。
その方は私にまさる方である。
私よりも先におられたからだ
(このヨハネは、イエスよりも6か月ほど先に生まれている)』
と言ったのはこの方のことです。

 

 私もこの方を知りませんでした。
しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、
わたしは来て、水でバプテスマを授けているのです。

 御霊が鳩のように天から下って、
この方の上にとどまられるのを私は見ました。
私もこの方を知りませんでした。

 しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、
私に言われました。
『御霊がある方の上に下って、
その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、
その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』

 私はそれを見たのです。
それで、この方が神の子であると証言しているのです」(ヨハネ1:29~34)。


 また、イエスは、〔父である神〕から、
「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」(詩篇1:7、ヘブル1:5)、

「わたしは彼にとって父となり、
彼はわたしにとって子となる」(Ⅱサムエル7:14、ヘブル1:5)と言われた方。

 「神よ。あなたの御座は世々限りなく、
あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。
あなたは義を愛し、不正を憎まれます。
それゆえ、神よ。
あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、
あなたとともに立つ者にまして、
あなたに注ぎなさいました」(詩篇45:6~7、ヘブル1:8~9)。

 また、「主よ。あなた初めに地の基を据えられました。
天も、あなたの御手のわざです。
これらのものは滅びます。
しかし、あなたはいつまでもながらえられます。
すべてのものは着物のように古びます。
あなたはこれを外套のように巻かれます。
これらを、着物のように取り替えられます。
しかし、あなたは変わることがなく、
あなたの年は尽きることがありません」(詩篇102:25~27、ヘブル1:10~12)。

 「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、
わたしの右の座に着いていなさい」(詩篇110:1、ヘブル1:13)
と言われている方なのだそうです。

 この方が、〔父である神〕から遣わされて、
人となって人の世に来てくださり、
〔父である神〕の御思いに従って、私たちの身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けてくださって、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑済みのもの、死んだものとしてくださった方。

 墓に葬られ、
三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活し、
天の〔父である神〕の右の座に帰られ、
もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
私たちに、神の子の身分を与えてくださる方なのだそうです。

 〔聖である霊〕と呼ばれる方は、私たちの心に、
〔父である神〕の御思いを置いてくださるので、
受け入れる者の心に、
〔父である神〕が一人一人に思っておられる御思いが来るようになり、
受け入れる者が、
エスと同じように
「あなたは私の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」と言っていただける
神の子の身分において、
〔父である神〕と同じ思い、
一つ心になって生きるようにしてくださるのだそうです。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >