風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

一人一人、ちがっていながら一つなのだそうですね。あの方によって。

主よ、神々の中に、あなたのような方が誰かあるでしょうか。
 誰か、あなたのように聖において輝き、
ほむべき御業によって畏れられ、
くすしき御業を行う方があるでしょうか。出エジプト記15:11
...

 働きにはいろいろありますが、
すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。Ⅰコリント12:6

      (ローズンゲン日々の聖句9/24;木)

 天の神、主は、この人間の世界に具体的に働かれる方なのだそうです。
 直接、働かれる場合もありますが、多くの場合、私たち、人間を通して何かをなさろうとされるようです。

 主は、私たち、人間と、愛し合う関係、互いに相手を大切に思い、心を一つにし合う関係になりたいと願っていて下さるのだそうですね。それで、自分だけで何かをしてしまうのではなく、私たち、一人一人と、一つ思いになり、心を合わせて何かをしていきたい、協働者、同労者として、苦労も、悲しみ喜びも、また、栄光も共にしていきたいと思っておられるようです。

 天の神、主は、私たち、イエスの十字架刑での処刑を、自分の処刑としていただき、処刑済みの手続きをいただいた者に、聖である霊と呼ばれる方を派遣して下さるのだそうです(使徒1:4~5)。
そして、この方をお迎えする者の心に、ご自身の御思いを置いてくださり (エゼキエル36:26)、私たち一人一人に関わる部分において、私たちを御自身と同じ思い、一つ心にし、ご自身が、私たち一人一人を通してこれからしようと思われることを、一人一人に願いとして起こしてくださり、一つ願いを持つ者にしてくださって、ご自身と一つ行動をとるようにしてくださるのだそうです(ピリピ2:13)。
ちょうど、イエスがそうであったように(ヨハネ8:28)。

 それで、聖である霊と呼ばれる方は、父である神と呼ばれる方が私たち一人一人に思っておられるとおりに、一人一人に、それぞれの思いを起こしてくださるのですね。
それで、私たちは、聖である霊と呼ばれる方が来させてくださるままに、ある人はこのことを思い、ある人はあのことを思い、ある人はこの働きをし、また、ある人はあの働きをするようになるのだそうですが、同じ方がそれをされているのであって、すべての人の中ですべての働きをなさるのは同じ方なのだそうです。
ちょうど、それは、一つのからだが多くの肢体からできているような感じなのだそうですね。脳からの指令によって、それぞれの肢体がそれぞれのちがった働きをするわけですが、一つのからだとして調和があり、それぞれの働きが皆の益になっているように(Ⅰコリント12:4~27)。

 天の神、主は、私たち一人一人、それぞれを通してしようと思っておられることがあり、それを、それぞれの心に願いとして起こしてくださるのだそうですね。
 今日も。


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