わたしの名を否まなかったから
私たちのお仕えする神は、
その燃え盛る炉から私たちを救うことができます。
そうでなくても、私たちは王様の神々に仕えることも、
金の像を拝むことも致しません。ダニエル書3:17~18
主の言葉:
見よ、あなたの前に門を開いておいた。
誰もこれを閉めることはできない。
あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、
知らないとは言わなかった。黙示録3:8
(ローズンゲン日々の聖句12/3;木)
紀元前600年頃のこと、バビロンの王、ネブカデネザルは、
高さ27mほどの金の像を建て、諸民、諸国、諸国語の者たち、すべてに、ひれ伏して、この金の像を拝むように命じたのだそうです。
ひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込む、と。
捕囚としてユダヤから連れて来られていたハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤは、王に仕える者となり、バビロン州の事務をつかさどる者となっていたのだそうですが、この像を拝まなかったため訴えられ、ネブカデネザル王の前に立たされることになったのだそうです。
王は、「もし、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。
しかし、拝まないなら、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。
どの神が、私の手からおまえたちを救い出せよう」
と言ったのだそうです。
ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤは、答えて、
「もし、そうなれば、私たちの仕える神は、
火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。
王よ。神は私たちをあなたの手から救い出すことができます。
しかし、もし、そうでなくても(口語訳は、「たといそうでなくても」)、
王よ、ご承知ください。
私たちはあなたの神々に仕えず、
あなたが立てた金の像を拝むこともしません」と言ったのだそうです。
王は怒りに満ち、3人を火の燃える炉の中に突き落とすよう命じたのですが、火の中には4人の者が歩いているように見え、王が、火の中から出て来るように命じたので出て来た3人の者は、頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかったのだそうですね。
今から70年ほど前の、日本統治下の朝鮮での話。
大邸保聖女学校の若い音楽教師、安利淑は、神社参拝をしなかったため、捕えられ、6年間、平壌刑務所に監禁されたのですが、うら若き女性が真の神への純潔のゆえに日本帝国に抗して神社参拝を拒否する、その時支えになったのが、このハナヌヤたちが答えた「たといそうでなくても~~拝むことをしません」の言葉だったのだそうです。
面会に来た母親との別れの挨拶は「天国の門で会いましょう」だったそうです。
死刑判決を受け、絞首刑になるところを、日本の敗戦で解放されたのだそうです。〔安利淑著「たといそうでなくても」待晨堂〕より。
私たちも、あの方の恵みを受け取って、門を開いておいてもらえ、「わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったから」と言っていただける歩みをしたいですね。今日も。
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