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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

取るに足りない者、見下されている者をあえて選び、

主は高くいましても、
  低くされている者を見ておられます。詩篇1386
 
 神は、
世の無に等しい者、
身分の卑しい者や見下げられている者を
選ばれたのです。Ⅰコリント1:28
 
    (ローズンゲン日々の聖句6/20;月)
 
 「下には永遠の御腕がある」(申命記3327)。
どん底の者を、さらにその下から支えて下さる方。
いと高き方が、一番低いところまで降りて来て、支えて下さるのだそうです。
 
 この世の、師と呼ばれる人たちは、少しでも良い者、優秀な者、優れた者を弟子に選ぼうとするのでしょうね。
天の神、主は、この世の愚かな者、弱い者、取るに足りないと見下されている者、無に等しい者をあえて選んでくださる方なのだそうです。
 
 そして、御自身のいのちで贖い(あがない、代価を支払って買い戻すこと)をされ、
聖い者、取り分けられた者としてくださり、御自身の力と知恵と義と栄光で包んでくださるのだそうです。
 
 私たちが呼んだ日に、天の神、主は答えてくださり、たましいに力を与えて強くしてくださる。
私たちが生きる道、幸せになる道を心に思わせて下さって、一人一人に持って下さっている、幸せにする計画をすべて成し遂げてくださるのだそうです(詩篇13838)。
 
 天の神、主から、このようにしていただいている者は、私たちに代わって十字架に架かって下さり、復活し、天の「父の右の座」に帰られたイエスが、受け入れる者に派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方が、受け入れる者の心に置いてくださる「父である神」の御思いのとおりに、もしだれかがあやまちに陥ったなら、柔和な心でその人を正してあげるようになるのだそうです。
 
 そして、自分も同じ誘惑に陥りやすい者であることを認めて気をつけ、互いの弱さ、重荷を負い合い、具体的な物質的な面でも良い物を分かち合うようになるのだそうです。
 
 天の神、主と、心を一つにし、思いを一つにしていく生き方を嫌い、自分一人の理性の判断のとおりをしていこうとする、「神のひとりのようになろうとし、善悪を知る者となった、「生まれたときからの霊」という私自身から来る思いによって生きるのではなく、「聖である霊」が心に書き付け、置いてくださる「父である神」の御思いを私の思いとして生きて行く者にしていただけるのだそうです。
 
 失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることにもなるのだそうですから(ガラテヤ6110)。
今日も。