風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

始めの愛、花嫁のときの愛に

主はこう言われる。

わたしはあなたの若いときの真心、

花嫁のときの愛、

種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす。エレミヤ書2:2

 

 約束してくださったのは真実な方ですから、

公に言い表した希望を揺るがぬよう

しっかり保ちましょう。ヘブル書10:23

 

 創世記33:1~11

 Ⅱコリント5:1~10

      (ローズンゲン日々の聖句10/26;水)

 

 初めの愛を、

イスラエルがエジプトでの奴隷状態から解放され、約束の地に向かって荒れ野を旅したころの愛、

私たちが、天の神、主を知り、イエスによって現された愛を知って喜びと感動の中で生きていた初めのころの愛を、天の神、主は思い起こしてくださるのですね。

 

 そして、初めの愛、

創造の目的から外れてしまっている私たちと、愛の中を生き、ご自分といつも一緒にいるようにしてくださろうとして、

御子である方を人間イエスとして人の世に派遣してくださり、この方に私たちのそむきの罪の全部を背負わせて、十字架刑で処刑し、受け入れる者を処罰が終わった者としてくださり、

受け入れる者に、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、

この方によって、ご自身の、私たち、ひとりひとりに対する御思いを受け入れる者の心に置いてくださるので、受け入れる者は、愛の中で、いつもこの方と一緒にいて、「父である神」と思いを同じにし、心を一つにし、行動を共にする生き方を始めるのだそうです。

 

 あのエデンの園で、最初の人間、アダムとエバが、背く前に持っていた、天の神、主との初めの愛に帰れるのだそうです。

 

 そして、アダムとエバのそむきの結果、私たち人間は死ぬものになっていますが、私たちの住まいである地上の幕屋(今、着ている肉体)が壊れても、神は新しい建物(身体)、天にある永遠の家(復活のからだ、霊のからだ)を用意してくださるのだそうです。

 

 それを着たなら、もう、裸の状態(からだを持たない、霊だけの状態)になることはないのだそうです。

「聖である霊」と呼ばれる方が来てくださっているのは、そのことの保証でもあるのだそうです。

 

 それで、この出来事を受け取っている者は、肉体の中にあろうと(生まれた時からのからだを着て生きていようと)、肉体を離れて(今のからだを脱いで〔死んで〕天に移されていようと、天の神、主、「わたしはあるという者」と言われる方との愛の中を生き、この方に喜んでいただけることを願うようになるのだそうです(Ⅱコリント5:1~10)。今日も。

 

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