風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

初めのこと、先に告げられたことは、全部、実現したのだそうですから。

見よ、初めのことは成就した。
  新しいことを告げよう。
 それが芽生えて来る前にわたしはそれを聞かせよう。イザヤ書429
 
 信心の秘められた真理は確かに偉大です。
すなわちキリストは肉において現れ、
“霊”において義とされ、
天使たちに見られ、
異邦人の間で宣べ伝えられ、
世界中で信じられ、
栄光のうちに上げられた。Ⅰテモテ316
 
 ロマ3920
 Ⅱコリント4718
      (ローズンゲン日々の聖句10/25;火)
 
 初めのこと、先に言っていたことは、言っていたとおりにこの世界史の中で実現したのですね。
キリスト(救い主)の預言は、その預言のことばのとおりに、2000年ほど前、イスラエルで、ナザレ村出身のイエスと呼ばれる人物によって。
 
 神の御子、「御子である神」と呼ばれる方が、天の栄光の御座を後にして、ダビデ家の子孫である貧しい一人の処女マリアの胎を通して、人間イエスとして、「女の子孫」として(創世記3:15)、人の世に来られ、「聖である霊」と呼ばれる方を迎えられ、この方と共に、「父である神」と思いを一つにし、心を一つにして、「父である神」が思っておられるとおりに生きられた。
 
 そして、「父である神」の御思いに従い通され、みずから、すべての人の代理となり、すべて人のすべてのそむきの罪の責任を取って、十字架刑での処刑を受けてくださった。
 
 ローマ帝国の権威のもと、アジア大陸、ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸が繋がるかなめの場所、世界の中心の地で、世界中から集まって来ていた多くの人々の目の前で、天使たち、悪霊たちの見守る中、「呪われた者」として、天と地の間に掲げられた。
 
 そして、死んで葬られたこのイエスが、三日目、日曜日の早朝、新しい身体、「霊のからだ」とか「復活のからだ」とか呼ばれる新しい身体で復活し、信じられない弟子たちに、40日に渡って何度も現れ、疑う弟子、トマスには、「あなたの指をここ(十字架刑で開いた手の釘の穴)に差し入れ、手を伸ばして、(ローマ兵が死亡を確認するために槍で突き刺した)わたしのわきに差し入れなさい」とまで言われて、本当に「からだ」をもって生きていることを証明され、そして、40日後、オリーブ山で、弟子たちが見ている前で、雲に迎えられ、天の「父である神」の右の座に帰られた。
 
 さらに、10日後の、イスラエルの民に、モーセを通して律法が与えられ、神の民となる契約が結ばれたその記念日である、「5旬節(ペンテコステ)」の祭りの日に、天に帰られたイエスが派遣された、約束の「聖である霊」と呼ばれる方が、待っていた弟子たちに来られて、弟子たちは、この「聖である霊」と呼ばれる方が話させてくださるとおりに話し出した(使徒2:1~4)。
 
 「聖である神」が、一人ひとりを通してしようと思っておられる、「父である神」の御思いを、一人ひとりの心に置いてくださり、受け入れる者が、愛するゆえに、自由意思で、自発的に「父である神」と思いを一つにし、心を一つにし、行動を一つにするという新しい契約(エレミヤ313134、エゼキエル362528)が実現した。
 
 この、世界史の中に突入してきた「新しい生き方」は、ユダヤ人の枠を超えて全世界に伝えられ、律法を自分の力で守ることができない自分のはずれた存在を知り、認めた者たち(ロマ3:9~20)に受け取られ、実現しているのだそうです。
 
 素焼きの土の器のような私たちに来てくださり、住んでくださる「聖である霊」と呼ばれる方によって(Ⅱコリント4718)。
今日も。
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