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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

生きることになるのですね。私たちも。

主は私たちを、どのように造るべきかを知っておられた。
私たちがちりにすぎないことを、御心に留めておられる。詩編10314
 
 イエスの言葉:
わたしが生きているので、
あなたがたも生きることになる。ヨハネ1419
 
 Ⅰコリント3:(1348
 ルカ10116(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句2/16:木)
 
 すべてのことは、〔父である神〕の御思いから発しているのだそうです。私たち一人一人も、まず、〔父である神〕が思っておられる私があり、その御思いのとおりに造られたているのだそうです。
 
 神である主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、土地のちりで人のからだを形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれ、そこで人は生きるものとなったのだそうです(創世記27)。
 
 それで、天の神、主が、私たちの息、霊を呼び戻されると、私たちは土地のちりで造られた〔からだ〕をこの地上に残して、霊は天の神のもとに帰って行くことになるようです。
 
 けれども、イエスが十字架刑にかかられる前の晩の、最後の晩餐の席で言われたとおりに、十字架刑で処刑されたイエスが、三日目、日曜日の早朝、土地のちりで造られた〔からだ〕にではなく、新しい〔霊のからだ〕に復活されたことによって、受け入れる者も、イエスと同じ、新しい〔霊のからだ〕に復活して、生きるものにしていただけるのだそうです。
 
 この〔からだ〕についてはそのようですが、〔霊〕について言えば、私たちの〔生まれたときからの霊〕は、天の神、主の「われわれのかたちとして、われわれに似せて」造られていながら(創世記Ⅰ:26)、その造られた場に留まることをせず、もっと素晴らしい者になろうとして、「神のひとりのようになり、善悪を知るように」なって、天の神、主に対抗、対立する者、そむく者になっているのだそうです。
天の神、主の創造の御思いから〔的はずれ〕になってしまっているのですね。
 
 それでもなお、天の神、主は、その〔的はずれ〕の私たち人間を愛し、これを廃棄処分にされないで、回復の道を計画されたのだそうです。
 
それで、そのご計画の時が満ちたとき、そのご計画のとおりに、〔御子である神〕は、天の栄光の座を後にして、ダビデの子孫であるひとりの処女マリヤの胎を通して、アダムのそむきの性質を受け継いでいない〔女の子孫〕として(創世記315)人の世に来られ(ヨハネ114)、およそ、33歳の頃、ご計画のとおりに、神に背く者として十字架刑によって処刑されてくださったのだそうです。
 
 
 〔父である神〕は、このイエスを、その全能の力によって復活させ、40日に渡って、弟子たちに何度も現れさせ、神の国のことをさらに詳しく語らせたのち、弟子たちの見ている前で、オリーブ山から、天の〔父である神〕の右の座、〔御子である神〕の位に帰らせたのだそうです。
 
 
 〔父である神〕は、このイエスによって、イエスを神の御子、キリスト(救い主)として受け入れる者の〔生まれたときからの霊〕をイエスの十字架刑での処刑に合わせてくださり、処刑されたもの、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。
 
 
 そのうえで、御子イエスを通して、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を、受け入れる者に派遣してくださり(ヨハネ1416)、受け入れる者を、死んで、新しい霊によって生きるもの、新しく生まれた者としてくださるのだそうです(ヨハネ318)。
 
 
 この、〔生まれたときからの私〕という霊を死んだものとしていただき、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって新しく生きるものとしていただいた者は、〔生まれたときからの私〕という霊から心に来る思いを死んだものから来た思いと認めて、横に置き、〔聖である霊〕と呼ばれる方から心に来る〔父であある神〕の御思いを我が思いとして生きるのだそうです。
〔肉に属する人〕から〔御霊に属する人〕に成長し、パウロやアポロのように、主がおのおのに授けられたとおりのことをしていく、神の協力者、同労者としていただけるのだそうです(Ⅰコリント319)。
 イエスによって遣わされた70人の弟子たちのように、遣わされた場所の平安を祈り、病人を直し、「神の国」、天の神、主の統治をその場に届ける者にしていただけるのだそうです(ルカ10116)。
今日も。
 
 
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