風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

時が満ち、恵みの業が、私たちにも、現れて

正義を守り、恵みの業を行え。
わたしの救いが実現し、
わたしの恵みの業が現れるのは間近い。
イザヤ書56:1

 めいめい自分のことだけでなく、
他人のことにも注意を払いなさい。
フィリピ書2:4

 マタイ8:14~17
 エゼキエル書7:1~13(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句10/26;木)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方が言われるのだそうです。

「公正を守り、正義を行え。

わたしの救いが来るのは近く、

わたしの義が現れるのも近いからだ。」


幸いなことよ。

安息日を守ってこれを汚さず

どんな悪事にもその手を出さない、

このように行う人、

これを堅く保つ人の子らは。


主に連なる外国人は言ってはならない。

「主はきっと、私をその民から切り離される」と。

宦官(宮廷に仕えるため去勢手術を受けている人)も言ってはならない。

「ああ、私は枯れ木だ」と。

まことに主はこう仰せられる。

「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶことを選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、
わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにまさる分け前と名を与え、
絶えることのない永遠の名を与える。

 また、主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべとなった外国人はみな、
安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、
わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、
わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。
彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。
わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ(イザヤ56:1~7新改訳)と。


 使徒パウロは書き送っています。

こういうわけですから、
もしキリストにあって励ましがあり、
愛の慰めがあり、
御霊の交わりがあり、
愛情とあわれみがあるなら、
私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、
同じ愛の心を持ち、
心を合わせ、志を一つにしてください。
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、
へりくだって、互いに人を自分よりも優れた者と思いなさい。
自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。
それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです(ピリピ2:1~5)と。

 イエスは、私たちのわずらいを、ご自身の身に引き受け、
私たちの病を背負ってくださって、
私たちをいやしてくださるのだそうです(マタイ8:14~17)。

 そして、私たちのそむき、「的外れ」の責任をご自身に引き受け、
私たちの身代りになって十字架刑での処刑を受けてくださって、
私たちを処罰済みとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、これを受け取った者に、
もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方の働きで、私たちの心に、〔父である神〕の御思いを置いてくださるのだそうです。

 それで、私たちにも、〔父である神〕の御思いが心に来て、
正義を守り、恵みの業を行う心、
「自分のことだけではなく、他人のことにも注意を払い、心を配る」思いも
持つようにしていただけるのだそうです。
今日も。

 

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