風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちの、咎を除き、罪を赦し、債務証書を破棄して、新しく生きる者へと

貴方の様な神がほかにあろうか、
咎を除き罪を赦される神が。
神はご自分の嗣業の民の残りの者に永久に怒りを保たれる事はない。
神は慈しみを喜ばれる故に。
ミカ7:18

 神は規則によって私たちを訴えて不利に陥れていた証書を
破棄し、
これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。コロサイ書2:14


 マタイ12:1~8
 民数記20:22~29(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句9/11;月)

パウロは言います。
「キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。
肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。
あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、
また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、
キリストとともによみがえらされたのです。

あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、
神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。
それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、
いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたのです。
神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました」(コロサイ2:11~14)と。

 慈しみを喜ばれる神は、その熱情と熱心をもって、私たちの咎を除き、罪を赦そうとされたのだそうです。
〔御子である神〕が、天の栄光の座を後にして、
人間、「女の子孫」(創世記3:15)として人の世に降り、
およそ33歳のころ、神に反逆した者として、十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。
〔父である神〕は、その全能の御力をもって、
この方、イエスを、三日目、日曜日の早朝、死者の中からよみがえらされたのだそうです。
この方は、40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語った後、
弟子たちの見ている前で、オリーブ山から天に上げられ、
〔父である神〕の右の座に帰られたのだそうです。

 〔父である神〕は、受け入れる者を、このイエスに合わされたもの、イエスの中にいるものとして、
エスの十字架刑の処刑に合わせて処刑されたもの、死んだものと手続してくださるのだそうです。

そして、イエスは、その、〔父である神〕の右の座にあって、もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣され、
この方によって受け入れる者の心に、〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、
受け入れる者が、〔父である神〕と心と思いを合わせて生きるようにしてくださるのだそうです。

それで、この、イエスによってなされた神の御業を受け取る者は、咎を除き去られ、罪を赦され、
私たちを責め立てる債務証書を破棄された者としていただき、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、心を一新していただいて(ロマ12:1~2)、
新しく生きる者(ヨハネ3:1~8)にしていただけるのだそうです。

出エジプトを果たし、40年の荒野での生活を終えて、いよいよ約束の地に入る、その手前のホル山で、モーセが、神の言われるとおりに、アロンに大祭司の衣服を脱がせて、その子エルアザルに着せ、
アロンはホル山の頂で死に、エルアザルに交代したように(民数記20:22~29)。

エスの十字架刑での処刑に合わせていただいて死に、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって新しく生まれた者は、
旧い律法解釈、安息日の規定(マタイ12:1~8)や食べ物と飲み物について、「すがるな。味わうな。さわるな」というような定めから解放されるのだそうです(コロサイ2:21)。

そして、安息日の主であり、「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」と言われる方(マタイ12:7~8)、
モーセをとおして律法を与えられた方の御思いによって生きるのだそうです。

〔父である神〕は、私たちを通してしようと思っておられることがあるのだそうですから。
今日も。

 

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