風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

イエスのおられる所に、私たちも住まわせようと

お前たちの道と行いを正せ。
そうすれば、
わたしはお前たちをこの所に住まわせる。
エレミヤ書7:3

 信者たちは財産や持ち物を必要に応じて分け合った。
毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、
家ごとに集まってパンを裂き、
喜びと真心をもって食事をし、
神を賛美していたので、
民衆全体からも好意を寄せられた。
使徒2:45~47

 Ⅰコリント3:9~15
 Ⅱテサロニケ1:1~12(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句11・29;水)

紀元前600年頃のことです。
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
ユダヤのアナトテの人エレミヤをご自身の預言者として立て、
ユダヤの人々に語りかけられたのだそうです。
「わたしがあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、
あなたがたは聞こうともせず、
わたしが呼んだのに、答えもしなかった。」(エレミヤ7:13新改訳)。

「あなたがたの行いと、わざを改めよ。
そうすれば、わたしは、あなたがたをこの所に住ませよう。
あなたがたの間で、公義を行い、
在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、
罪のない者の血をこの所で流さず、
ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、
この地にとこしえからとこしえまで住ませよう」(7:3~7)と。

エスが十字架刑での処刑を受けられ、
墓に葬られ、
三日目の日曜日の朝、死人の中から、新しい霊のからだに復活され、
40日に渡って、何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語った後、
弟子たちの見ている前で、
オリーブ山から、天の〔父である神〕の右の座に帰られ、
10日後の、五旬節(ペンテコステ)の日に、
待ち望んでいた弟子たちに、
約束の〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣され、
この方が、弟子たちの心に〔父である神〕の御思いを置かれ、
弟子たちが、〔父である神〕と心を一つにして、
その御思いのとおりに、行動するようになっていったとき、
弟子たちは、このことばのような、
心を一つにする、共同生活をするようになっていったのだそうです。

この〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れ、
神と心を一つにして生きる者は神の協力者としていただき、
ちょうど、建築家が家の土台を据え、その上に家を建てていくように、
心にイエス・キリストという土台を据え、
その上に、神と心を一つにした生活という家を建てていくようにと
用いていただけるのだそうです(Ⅰコリント3:9~15)。

 イエスが、二度目に、
今度は、炎の中に力ある御使いたちを従えて来られて、
私たちにも栄光を与えて、(Ⅱテサロニケ1:5~12)、
御国に住まわせてくださるその日に向かって。
今日も。

 

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