風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

ご自身の「栄光の座」にふさわしい者にしようと

 我々を見捨てないでください。
あなたの栄光の座を
軽んじないでください。
エレミヤ書14:21

 パウロの手紙:
私たちの神が、
あなたがたを招きにふさわしいものとしてくださり、
また、その御力で、
善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを
成就させてくださるように。
Ⅱテサロニケ1:11

 マタイ10:26~33
 ホセア書2:16~25(新改訳12~23)(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/25;月)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
エルサレムの神殿を栄光の御座とされました。

 イエスは言われます。
「父(である神)を礼拝するのは、
この山(サマリヤのゲリジム山)でもなく、
エルサレムでもない、
そういう時が来ます。
真の礼拝者たちが
霊とまことによって父(である神)を礼拝する時が来ます。
今がその時です」(ヨハネ4:21~23)」、と。

 そして、イエスが、
私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受けられ、
墓に葬られ、
三日目に死人のうちから新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、
雲に迎えられて、
天の〔父である神〕の右の座に帰られた今は、
このイエスの贖(あがな)いによる救いを受け入れた者に、
エスを通して、
もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られ、
「その腹から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:38)のだそうです。

 イエスの贖いによる救いを受け入れた者、ひとりひとりが、
「神が住まわれる神殿」、
「栄光の座」としていただけるのだそうです。

 天の神、主は、
ご自身の「栄光の座」とした私たち一人一人を、
「見捨てられたもの」と言われたり、
周りの人々から軽んじられたりすることがないように、
ご自身の「栄光の座」、神殿にふさわしい者に、
ご自身の名をもって呼ばれる、
「神の子」、「神の家族」にふさわしい者にしようとし、
御力によって、
善を慕うあらゆる願いと信頼の働きとを全うしてくださるのだそうです(Ⅱテサロニケ1:11)。

 だから、私たちは、
「神のひとりのようになり、善悪を知るように」なっている、
〔生まれたときからの私〕という霊による、
至らなさや、神にふさわしくないものなどが出て来ますが、
それらの一つ一つをイエスの前に投げ出し、
見ていただき、知っていただき、受け取っていただきながら、

 大胆に、イエスを「私の救い主」、「主」と言い表してよいのだそうです(マタイ10:26~33)。
「あなたは私の神」(ホセア2:23)と。

 私たちの頭の毛さえも、みな数えていてくださって、
その一本さえもこの方の許しがなければ
抜け落ちることはない(マタイ10:29~30、ルカ21:18)、のだそうですから。


 イエスを通して来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる、
〔父である神〕の御思いに心を向け、
その御思いについて行ってみたいですね。
どのようなことが起こるのか。
今日も。

 

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