風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

立ち返って、静かにして、御思いについて行く

 お前たちは、立ち帰って、
静かにしているならば救われる。
イザヤ書30:15

 マルタへのイエスの言葉:
あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし、必要なことは、だだ一つだけである。
マリアは良い方を選んだ。
それを取り上げてはならない。
ルカ10:41~42

 マルコ9:14~29
 ヘブル書5:11~6:8(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/9;水)


 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方が言われるのですね。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、
落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15新改訳)、と。

 しかし、私たち、「神のひとりのようになろう」とし、
「善悪を知る者」(創世記3:5、22)、
造り主である神にそむき、対立、対抗して、
この方の意思を無視し、
自分の理性による善悪の判断のままに生きるようになっている私たちは、
この方に信頼して、
この方のおことばのとおりに静かにし、
御思いが成ることを待とうとをしないで、
自分の判断のとおりに飛び出していく者のようです。

 イエス一行がある村へ入られたとき、
マルタという女性が喜んで一行を家に迎え入れたのだそうです。
それで、マルタの妹のマリヤは、
エスの足もとにすわって、
エスの話しに聞き入っていたのだそうです。

 それで、姉のマルタはいろいろともてなしのために気が落ち着かず、
エスの所に来て言いました。
「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、
何ともお思いにならないのでしょうか。
私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」

 それで、イエスは言われたのだそうです。
「マルタ、マルタ。
あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
しかし、どうしても必要なことはわずかです。
いや、一つだけです。
マリヤはその良い方を選んだのです。
彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:38~42)。


 イエスの前で、ひきつけを起こし、地面に倒れ、
あわを吹きながらころげ回る子の父親に、
エスは尋ねられたのだそうです。
「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」
父親は言いました。
「幼い時からです。
この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。
ただ、もし、おできになるものなら、
私たちをあわれんで、お助け下さい。」

 するとイエスは言われた。
「できるものなら、というのか。
信じる者には、どんなことでもできるのです。」
するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。
「信じます。不信仰な私をお助けください。」

 イエスは、汚れた霊をしかって言われた。
「口を聞けなくし、耳を聞こえなくする霊。
わたしがおまえに命じる。
この子から出て行け。二度とこの子に入るな。」

 するとその霊は、叫び声をあげ、
その子を激しくひきつけさせて出て行った。
するとその子は死人のようになった。
しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。
するとその子は立ち上がった(マルコ9:14~27)。

 私たち、この父親のように、
「不信仰な私をお助けください」と願いながら、
また、マリヤのように、みことば、御思いを求めながら、
与えられた場所に出て行くのですね。

静まって、
自分自身である〔生まれたときからの私〕という霊から来る思いは、
死んだものから出て来た思いであると認めて、
エスの前に差し出し、

光を受けて天からの賜物を味わい、

聖霊にあずかる者となり、
神のすばらしいみことばと、

後にやがて来る世の力とを味わいながら(ヘブル6:4)。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)



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