風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

信頼できる方を持っていますか?

 真実な神は偽りなく、

正しく真っすぐな方。申命記32:4

 

 私たちがイエスからすでに聞いていて、

あなたがたに伝える知らせとは、

神は光であり、

神には闇が全くないということです。Ⅰヨハネ1:5

 

 ロマ書4:18~25

 コヘレト(伝道の書)12:1~14(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句9/22;土) 

 

 天の神、主、

「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方は、

偽ることをなさらない、正しく真っすぐな方。

光そのものであり、

暗いところ、影が全くない方なのだそうですね。

 

 だから、もし、私たちが神と交わりがあると言っていながら、

闇の中を歩いているなら、

神と交わりがあると言っているのは偽り、なのだそうです。

 

 自分の罪を隠していくのではなく、

神の御前に言い表し、見ていただき、知っていただいて、

光の中の出来事、明るい出来事としていただけるのだそうです。

 

 御子イエスが十字架刑での処刑で流してくださった血によって

きよめていただけるのだそうですから。

 

 

 神を信頼することについて、

使徒パウロアブラハムのことを例にとって言ってます。

 

 彼(アブラハム)は、神から

「あなたの子孫は空の星のように、浜辺の砂のようになる」

との言葉をいただいていましたが(創世記22:17)、

妻サラに子どもは生れなくて、

アブラハム自身も100歳、妻サラは90歳にもなって、

自分のからだが死んだも同然であり、

サラの胎も死んでいることを認めても、

神に対する信頼は弱らず、

望みえないときに望みを抱いて信じました。

神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があると堅く信じたのだそうです。

 

 それで、その信頼が義とみなされ、

私たちも、主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる信頼を

義と見なしていただけて、

アブラハムの信頼に続く者にしていただけるのだそうです。

 

 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、

私たちが義と認められるために、

よみがえられたのだそうですから(ロマ4:18~25新改訳)。

 

 

 伝道者(ソロモン王)は言います。

あなたの若い日に、あなたの創造主を覚えよ。

わざわいの日が来ないうちに、

また、「何の喜びもない」という年月が近づく前に。

太陽と光、月と星が暗くなり、

雨の後にまた雨雲がおおう前に。

 

 その日には、家を守る者は震え、

力のある男たちは身をかがめ、

粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、

窓からながめている女の目は暗くなる。

通りのとびらは閉ざされ、

臼(うす)を引く音も低くなり、

人は鳥の声に起き上がり、

歌を歌う娘たちはみなうなだれる。

彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。

 

 アーモンドの花は咲き、

イナゴはのろのろ歩き、

ふうちょうぼくは花を開く。

 

 だが、人は永遠の家へと歩いて行き、

嘆く者たちが通りを歩き回る。

 

 こうしてついに、銀のひもは切れ、

金の器は打ち砕かれ、

水がめは泉のかたわらで砕かれ、

滑車が井戸のそばでこわされる。

 

 ちりはもとあった地に帰り、

霊はこれを下さった神に帰る。

 

 空の空。伝道者は言う。すべては空。

~~~

 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。

神を恐れよ。神の命令を守れ

。これが人間にとってすべてである。

神は、善であれ悪であれ、

すべての隠れたことについて、

すべてのわざをさばかれるからだ(伝道の書12:1~14)。

のだそうですから。

 

 だから、この方を信頼して、

隠れていることを、光の中に差し出し、

明るい、光の中の出来事にしていただくのだそうです。

今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)