風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

限りない愛を現わして

キリストが私たちのために死んでくださったことにより、
神は私たちに対する愛を示されました。
ロマ書5:8(3/17の週の聖句)

 

 ユダの王ヒゼキヤの歌:
父は子に
あなた
(主)のまことを知らせるのです。イザヤ書38:19

 

 イエスの言葉:
子供たちを来させなさい。
わたしのところに来るのを妨げてはならない。
マタイ19:14

 

 ヨハネ3:14~21
 詩10(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/17;Ⅲ日曜)

 

災いだ、
偽りの判決を下す者、
労苦を負わせる宣告分を記す者は。
彼らは弱い者の訴えを退け、
わたしの民の貧しいものから権利を奪う。
イザヤ書10:1、2

 

あなたがたはこの世に倣ってはなりません。
むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、
何が神の御心であるか、
何が善で完全かをわきまえなさい。
ロマ書12:2

 

 創世記37:3~4、12~14、23~35(36)
 サムエル記上14:1~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/18;月)

 

〔父である神〕は、
〔御子である神〕を人として人の世に派遣し、
この方を私たちすべての人間の身代わりとし、
私たちの「的外れ」の責任のすべてを負わせて、
十字架刑で、天と地の間に上げ、
神に呪われた者として掲げ、処刑することで、
私たちすべての人間の処罰が終わっているものとし、
私たちを新しく生まれさせ、
私たちが永遠のいのちで生きるご自身の子とすることで、
私たちへの愛を現わしておられるのですね(ヨハネ3:14~21)。

 

それで、この方を、
この方の愛の御業を、
父は子に、子はまたその子に告げ知らせるのですね。

 

エスが、
小さな子供たちがイエスのところへ来ることを叱る弟子たちを押え、
子どもたちを迎え入れ、
手を置いて祝福されたように。


子どもたちが天の神、主との関わりの中で
幸せな人生を歩むようにと。

 

私たちは、地位を得、権力を握ると、初めの心を忘れ、
弱い、寄る辺のない者の正しい訴えを退け、
貧しい者、悩む者の権利を奪う者です。

〔父である神〕は、その「的外れ」になっている、
私自身である〔生まれたときからの私〕という霊を
エスが私たちに代わって受けてくださった十字架刑での処刑によって、
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

そして、イエスを通して、
私たちに〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によってご自身の御思いを私たちの心に置いてくださり、
私たちの心をご自身の思いで一新してくださり、
御心に沿った、新し生き方をさせてくださるのだそうですから。

限りない愛の中で。
この新しい週も。

 

 

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