風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

誰も、敵対できないのだそうです。神が味方である者に。

わたし自身が町エルサレムを囲む城壁となると、
主は言われる。
ゼカリヤ書2:9

 もし神が私たちの味方であるならば、
だれが私たちに敵対できますか。
ロマ8:31

 

 Ⅰヨハネ3:1~6
 マルコ1:29~39(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/7;火)


 石を積み上げてできた城壁ではなく、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方ご自身が、
火の城壁となって守ってくださるのだそうです。

 

 だから、神に適して、
神が味方になっている者に敵対するものはいないのだそうです。

しかも、単に味方であるということにとどまらず、
ご自身の御子のいのちを代価として支払って、
私たちをご自身の子どもにしていてくださるのだそうですから。

 

 それゆえに、私たちを
イエス・キリストに似た者にしてくださるのだそうです。
私たちは、キリストのありのままの、
栄光の姿を見ることになるのだそうですから。(Ⅰヨハネ3:1~6)

 

 イエスが、病気の人をいやし、
悪霊を追い出されておられたようにも。(マルコ1:29~39)

 

 私たちを囲む火の城壁となって。
今日も。

 

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恵みと真理、命の光の中で

 私たちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、
恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネ1:14b(1/5の週の聖句)

 

 恵みを示す者があろうかと、
多くの人は問います。
主よ、私たちに御顔を光に向けてください。
詩4:7

 

 イエスは言われた。
「私は世の光である。
わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、
命の光を持つ。」
ヨハネ8:12

 

 ルカ2:41~52
 詩138(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/5;Ⅰ日曜) 


 天地が創造される前からおられた方。
【父である神】とともにおられ、
「神のことば」、【父である神】の御思いの表現であられる方。
すべてのものを造られたこの方が人となって、
人の世に住まわれたのですね。人間の肉体をとって。
【父である神】の独り子としての栄光、
神の恵みと真理、本当、に満ちて。

 

 私たちの〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いでは、
恵みを示してくれる者、
われわれに良い目を見させてくれる者があるだろうか、
と、思うのですね。

 

 けれども、【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神は、
そのような不信な私たちにも御顔の光を向けてくださるのですね。
恵みと真理の。

 

 人となられた【御子である神】、イエスは、
世の光、命の光なのだそうですから。
この方、そして、このイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方と一緒にいることが
命の光を持つことになるのだそうですから。

 

 そして、12歳のイエスは、
エルサレム神殿
「【父】の家」と認識しておられたのだそうですから。(ルカ2:41~52) 

 

 この方は、私たちが呼ぶとき、答えてくださる方。
高くあられますが、低い者を顧みてくださる方。
私たちが苦しみの中を歩いても、私たちを生かし、
私たちのためにすべてを成し遂げてくださる方、
なのだそうですから。(詩篇138)
 今日も。

 

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私たちの顔から涙をぬぐい去り、希望をもって喜ぶ者へと

主なる神は、
すべての顔から涙をぬぐい去ってくださる。
イザヤ書25:8
 

 希望をもって喜び、
苦難に耐え忍び、
たゆまず祈りなさい。
ロマ書12:12

 

 ヨシュア記24:1~2a、13~18、25~26
 マルコ1:1~8(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/2;木)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方ご自身が、
私たちの顔から涙をぬぐい去ってくださり、
望みを抱いて喜び、
苦難に耐えさせてくださり、
私たちが、すべてのことを
ご自分と語り合い、相談しながらやっていくようにしてくださるというのですね。

 

 そして、この方を無視し、
自分の理性の判断で善悪を決め、
自分の心のままに生きる私たちにも、
エスを通して【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって私たちの心にも
「私と私の家とは【主】に仕える」(ヨシュア24:15)という思いも置いてくださって。

 

 バプテスマのヨハネが、
【父である神】の御思いのとおりに、「荒野で叫ぶ者の声」となり、
「私よりも力ある方が私の後に来られます。
私には、かがんでその方の履物のひもを解く資格もありません。
私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、
この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります」と伝えて、
エスが来られる道ぞなえをしたように。

 

 私たちも、
【父である神】がしようと思われることをしていき、
【父である神】と心を一つにして生きる者としての栄光を受ける望みの中を。
この新しい一年も。

 

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銀を火で練るように、私たちを試して、永遠の希望へと

信じます。
信仰のない私をお助けください。
マルコ9:24(2020年の聖句)

神は真実な方です。Ⅰコリント1:9(1月の聖句)

イエス・キリストは、
きのうも今日も、また永遠に
変わることのない方です。
ヘブル書13:8(今週の聖句)

 

神よ、あなたは我らを試みられた。
銀を火で練るように我らをためされた。
詩66:10
 

 私たちは知っているのです。
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、
練達は希望を生むということを。
希望は私たちを欺くことがありません。
私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ロマ書5:3~5

 

 ルカ4:16~21
 ヤコブ書4:13~15
 詩121(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/1;水)


 新年、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
ご自身に信頼できない私たちの実態をよく知っていてくださって、
助けてくださる方。

 

 おっしゃられたことは、
必ず、そのことばのとおりになさる真実な方。

 

 【父である神】、
人となられた【御子である神】、イエス・キリスト
そして、【聖である霊】と呼ばれる神は、
永遠に変わることのないお方。

 

 神は、私たちが、自分の心のままを行ったら、
飼い主のいない羊のようにさまよい、
滅びてしまうことをよくご存じで、
私たちを行くままに放置なさらないで、
苦難をもって立ち返らせ、練られるのだそうです。

 

 神によって、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に造ろう」(創世記1:26 新改訳2017版)と願われ、
神と心を一つにし、神のかたちを表すものとして造られていながら、
もっと素晴らしい者に、神のようになろうとして、
神と心を一つにしていくのではなく、
自分の理性の判断で「善悪を知る」ようになった
最初の人アダム(創世記3:1~7、22)。

そして、その性質を受け継いで生まれて来ている私たち。

 

 【父である神】は、その、「背き」、「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスが私たちに代わって受けてくださった
十字架刑での処刑に合体させてくださって、
処刑が終わっているもの、死んだものとしていてくださるのだそうです。

 

 イエスは、死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさったのだそうです。

 

 【父である神】は、そのイエスを通して、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
この方によって、ご自身の思いを私たちの心に置いてくださり、
私たちの心にご自身の思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを同じくし、
ご自身と心を一つにして生きるようにしていてくださるのだそうです。


 それで、私たちが、苦難を通して、
〔生まれたときからの私〕から出て来る思いによって生きる生き方には
望みがないことを知り、
これを「死んだ者」から出て来た思いであると認めて、
エスの御前に差し出しながら、

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いで生きる生き方を選ぶようにと、
練ってくださるのだそうです。

 

 苦難によって忍耐を、
忍耐によって練達を、
練達によって欺かれることのない、
神と心を一つにして生きる者に約束された栄光にあずかる
希望を持つようにならせようと。


 このイエスこそ、イザヤが
「主の霊がわたしの上にある。
貧しい人に善い知らせを伝えるために、
主はわたしに油を注ぎ、
わたしを遣わされた。
捕らわれ人には解放を、
目の見えない人には目の開かれることを告げ、
しいたげられている人を自由の身とし、
主の恵みの年を告げるために」と預言した、
その人なのだそうですから。(ルカ4:16~21)


 私たちの〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
苦々しいねたみや利己的な思いですが、
エスが派遣してくださる【聖である霊】と呼ばれる方から来る思いは、
分別ある、柔和な行いの実を結ぶものなのだそうですから。(ヤコブ3:13~15)


 それで、私たちもうたうのですね。
私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのか。
私の助けは【主】から来る。
天地を造られたお方から。


 主はあなたの足をよろけさせず、
あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ イスラエルを守る方は、
まどろむこともなく、眠ることもない。
【主】はあなたを守る方。
【主】はあなたの右手をおおう陰。
昼も、日があなたを打つことはなく。
夜も、月があなたを打つことはない。


 【主】は すべてのわざわいからあなたを守り、
あなたのたましいを守られる。
【主】はあなたを 行くにも帰るにも
今よりとこしえまで守られる。(詩篇121篇 新改訳2017)、と。

 

 銀を火で精錬するように、
苦難でもって試され、生まれた希望の中で。
この新しい一年も。

 

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偽りを避け、真実なこと、誉れあること、正しいこと、清いこと、徳と言われることに、心を留めながら

偽りの発言を避けねばならない。出エジプト記23:7
 

  すべて真実なこと、
すべて気高いこと、
すべて正しいこと、
すべて清いこと、
すべて愛すべきこと、
すべて名誉なことを、
また、徳や賞賛に値することがあれば、
それを心に留めなさい。
フィリピ書4:8

 

 マタイ13:24~30
 ロマ書8:31b~39
 イザヤ書55:6~13(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/31;火)


 偽りの発言、偽りの告訴から遠ざかり、避けるように、
と言われるのですね。
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が。

 

 さらに言われます。
「すべて真実なこと、すべて誉れあること、
すべて正しいこと、すべて清いこと、
すべて愛すべきこと、すべて評判の良いこと、
そのほか徳と言われること、賞賛に値することがあるならば、
そのようなことを心に留めなさい」(ピリピ4:8 新改訳)、と。

 

 また、イエスは言われます。
この世の中は、私たちの心もそうなのでしょうが、
良い麦と毒麦が一緒にはえている麦畑のようだ、と。

 

 それで、畑の主人は言うのですね。
「今、毒麦を抜き集めようとすると
よい麦も一緒に抜き取ってしまうかもしれない。
だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。
収穫の時期になったら、まず、毒麦を集め、焼くために束にし、
麦のほうは、集めて倉に納めるように言うから」(マタイ13:24~30)と。

 

 だから、この世の中も、自分自身の心も、
いい麦と毒麦とが一緒に育っているわけなのですね。

 だから、私たち、毒麦、悪い思いを抜き取る、無くする、
心に出て来ないようと、果し得ない努力をするのでもなく、
その思いを生かす、成し遂げる、完遂のでもなく、
それは、毒麦、「的外れ」なものであると認めて、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせていただいて、
処刑済み、死んだものから出て来た思いであると
認めて、放っておけばいいのだそうですね。

 

 そして、良い麦、
墓に葬られ、
三日目、新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
心に【父である神】のも思いを置いていただいて、
その、【父である神】の御思いで生きる、
【父である神】と心を一つにして生きる生き方をするように、と。

 

 使徒パウロは言います。
「神が私たちの味方であるなら、
だれが私たちに敵対できるでしょう。
私たちすべてのために、
ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、
どうして、御子といっしょにすべてのものを、
私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
 

 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
神が義と認めてくださるのです。
罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、
いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、
神の右の座に着き、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。

 

 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。
患難ですか、苦しみですか。迫害ですか。
飢えですか。裸ですか。危険ですか。剣ですか。
私たちは、死に定められた、ほふられる羊のように見えていても、
私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても、
圧倒的な勝利者となるのです。
 

 死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、
今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
高さも、深さも、そのほかどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません」(ロマ8:31~39)、と。   

      
イザヤは言います。
主を求めよ、お会いできる間に。
近くにおられるうちに、神を呼び求めよ。
悪者はおのれの道を捨て、
不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。
【主】、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方に帰れ。
そうすれば、主はあわれんでくださる。
私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。


 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。

――主の御告げ――
天が地よりも高いように、
わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
雨や雪が天から降ってもとに戻らず、
必ず地を潤し、
それに物を生えさせ、目を出させ、
種蒔く者には種を与え、
食べる者にはパンを与える。
そのように、
わたしの口から出るわたしのことばも
むなしく、わたしのところに帰って来ない。

必ず、わたしの望む事を成し遂げ、
わたしの言い送った事を成功させる。


 まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、
安らかに導かれて行く。
山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、

野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
いばらの代わりにもみの木が生え、
おどろの代わりにミルトスが生える。
これは主の記念となり、
絶えることのない永遠のしるしとなる」(イザヤ55:6~13)、と。

私たちも、この勝利と希望の中で、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる、
偽りを避け、
すべて真実なこと、すべて気高いこと、
すべて正しいこと、すべて清いこと、
すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、
また、徳や賞賛に値することを心に留める思いをいただきながら。
今日も。

 

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剣や槍を必要としないで、私たちを救ってくださる方

主は救いを賜るのに
剣や槍を必要とされないことを、
ここに集まったすべての者は知るだろう。
サムエル記上17:47

 

 義の実は
平和を実現する人たちによって、
平和のうちに蒔かれるのです。
ヤコブ書3:18
 

 イザヤ書63:7~14
 イザヤ書55:1~5(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/30;月)


 ユダに攻め込んで来たペリシテの軍。
戦いを挑む代表戦士のゴリアテは、
背の高さ6キュビト半(2メートル80センチ余り)、
青銅のかぶと、青銅のうろことじのよろい、
青銅のすねあてを身につけ、
背中には青銅の投げ槍。

 

 これに向かうのは、紅顔の少年ダビデ
持つのは、羊を飼う杖と五つの小石の入った投石袋。
それだけでペリシテ人の戦士ゴリアテに向かって行ったのだそうです。

 

 「おまえは、剣と、槍と、投げ槍をもって向かって来るが、
私は、おまえのなぶったイスラエルの戦陣の神、
万軍の【主】の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。
この全集団は、
【主】が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう」(新改訳))、と。

 

 この方、天の神、【主』、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
また、義の実を結ばせる種を、
平和をつくる人によって、
平和のうちに蒔いてくださる方なのだそうです。
義の実の一点もない私たちにも。


 神である主は、私たちにも
「まことに彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ」
と仰ってくださり、
わたしたちの救い主となって、
私たちが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
ご自身の使いをもって私たちを救ってくださるのだそうです。
その愛とあわれみによって私たちを贖(あがな)い、
私たちを背負い、抱いて
運んでくださるのだそうですから。(イザヤ63:8~9 新改訳) 


 【主】は言われます。
ああ。渇いている者はみな、
水を求めて出て来い。金のない者も。
さあ、穀物をかって食べよ。
さあ、金を払わないで、穀物を買い、
代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
なぜ、あなたがたは
食料にもならない物のために労するのか。
わたしに聞き従い、良い物を食べよ。
そうすれば、あなたは脂肪で元気づこう。
耳を傾け、わたしのところに出て来い。
聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。
わたしはあなたがたととこしえの契約、
ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。
見よ。わたしは彼らを諸国の民への証人とし、
諸国の民の君主とし、司令官とした。
あなたを知らない国民をあなたが呼び寄せると、
あなたを知らなかった国民が、
あなたのところに走って来る。
これは、あなたの神、【主】のため、
また、あなたを輝かせた
イスラエルの聖なる方のためである。(イザヤ55:1~5 新改訳)


 私たちにも。

今日も。

 

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力と愛と思慮分別の霊の導きによって進もう

(ことば)は肉となって、
私たちの間に宿られた。
私たちはその栄光を見た。
ヨハネ1:14(12/29の週の聖句)

 

 若者も倦(う)み、疲れ、
勇士もつまずき倒れようが、
主に望みをおく人は新たな力を得、
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、
歩いても疲れない。
イザヤ書40:30~31

 

 神は、おくびょうの霊ではなく、
力と愛と思慮分別の霊を
私たちにくださったのです。
Ⅱテモテ1:7

 

 ルカ2:(22~24)25~38(39~40)
 イザヤ書54:1~10(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/29;Ⅴ日曜)


 天地、宇宙が存在する前、
その初めに【父である神】とともにおられた【御子である神】。
 

 この方は、【父である神】の御思いの表現、
表れでもあられるので、
【神のことば】、【ことばなる神】と呼ばれるのですね。

 

 また、すべてのものは、この方によって造られたのだそうです。
造られたものでこのかたによらないでできたものは
一つもないのだそうですから。

 

 たとえば、【父である神】が、「光よ。あれ」と思われ、
それを、【御子である神】、【ことばである神】が「光よ。あれ」と表現され、
【聖である霊】と呼ばれる神がそのことばのとおりに、
光を実現なさった、ということなのでしょうね。
すべてのものに。

 

 そして、【父である神】が、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになって」いて、
「的外れ」になっている私たち人間を、
最初の創造の目的のとおりの、
「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて」というものに
取り戻そうと意図された、
その計画のとおりに、
すべての人間の「背き」「的外れ」の責任を自分の身に負い、
十字架刑での処刑を受けるために、
【御子である神】は、天の栄光の座を後にして、
今、人として、人の世に来られたというのですね。
私たちと同じ肉体を持つ人間イエスとなって。
 

 【父である神】は、
この「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けてくださった十字架刑で処刑に合わせてくださって、
処刑された者、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 さらに、私たちに、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
ご自身の御思いを私たちの心に置き、書きつけてくださって、
受け入れる者がご自身と思いを一つにし、
心を一つにして生きるようにしてくださるのだそうですから。

 

 「われわれ」、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛において、自由意思で、自発的に、
思いを同じくし、心を一つにしておられるように、
私たちも、「われわれ」、この方々と
愛において、自由意思で、自発的に、
思いを同じくし、心を一つにする者へと。

 

 そして、この、【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】と思いを同じくし、心を一つにして生きる者は、
【主】、この方々が、
疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れないように、
疲れても新しく力を得、弱り果てることはない、のだそうです。

 

 イエスを通して来てくださり、
私たちのうちに働いてくださっている【聖である霊】と呼ばれる方は、
おくびょうな方ではなく、
力と愛と慎(つつし)み、思慮分別な方、なのだそうですから。

 

 【父である神】は、この御救い、
ご自身と心を一つにして生きる生き方を、
「異邦人を照らす啓示の光、
御民イスラエルの光栄として、
万民の前に整え、備えて」くださったのだそうです。(ルカ2:31~32)

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は仰せられるのですね。
「『子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。
生みの苦しみを知らない女よ。
喜びの歌声を上げて叫べ。
夫に捨てられた女の子どもは、
夫のある女の子どもよりも多いからだ。


 あなたの天幕の場所を広げ、
あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、
綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。

あなたは右と左にふえ広がり、
あなたの子孫は、国々を所有し、
荒れ果てた町々を人の住むところとするからだ。


 恐れるな。あなたは恥を見ない。
恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。
あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、
やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。
あなたの夫はあなたを造った者、
その名は万軍の【主】。
あなたの贖(あがな)い主は、イスラエルの聖なる方で、
全地の神と呼ばれている。
【主】は、あなたを
夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、
若い時の妻をどうして見捨てられようか』
とあなたの神は仰せられる。

 

 『わたしはほんのしばらくの間、
あなたを見捨てたが、
大きなあわれみをもって、あなたを集める。
怒りがあふれて、ほんのしばらく、
わたしの顔を隠したが、
永遠に変わらぬ愛をもって、
あなたをあわれむ』と
あなたを贖(あがな)う【主】は仰せられる。


 『このことは、わたしにとっては、
ノアの日のようだ。
わたしは、ノアの洪水を

もう地上に送らないと誓ったが、
そのように、あなたを怒らず、
あなたを責めないと私は誓う。
たとい山々が移り、丘が動いても、
わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、
わたしの平和の契約は動かない』と
あなたをあわれむ【主】は仰(おお)せられる。」(イザヤ54:1~10 新改訳)

のだそうですから。
私たちにも。

この新しい週、
いよいよ、【聖である霊】と呼ばれる方の導きについて行って。

 

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