風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

主の栄光が現れるのだそうですね。私たちの上にも

見よ、

闇は

地を覆い、

 

暗黒が

国々を包んでいる。

 

しかし、

あなたの上には

主が輝き出で、

 

主の栄光が

あなたの上に

現れる。

イザヤ書60:2

 

 

 

わたしを信じる者が、

だれも

暗闇の中にとどまることのないように、

 

わたしは

光として

世に来た。

ヨハネ12:46
   

 

 (ローズンゲン日々の聖句8/9;土)

 

 

 

 暗闇から光の中へ移れるのですね。

あの方が来て下さったので。


この世の暗闇。

そして、

私たちの心の暗闇。

 

 

 

 夜空に美しく輝く月も、

自分に光源を持たないため、

太陽に照らされる面は

美しく光っていても、

 

裏側は

暗闇なのですね。


 

 私たち、人間も、

あの方の御思いを受けて歩んでいれば

光の中ですが、

 

あの方の御思いに

背を向け、

 

自分の理性で

善悪を決めていくとき、

それは、

暗闇の生き方になるのですね。


 

何が善であるかを知っており、

その善を願っていながら、

それをする力はなく、

 

対立と騒乱、

不公平、

 

そして

暴虐が地に満ちる結果に

なるようです。

 

 

あの方々の一人のようになり、

自分が善悪を決定する者となって、

(創世記3:22)

あの方に背を向けた、

生まれた時からの霊という私を

死んだものとし、

 

聖である霊と呼ばれる方が

来て下さることを

可能にするため、

 

御子である方は、

人間イエスとして

人の世に生まれて下さり、

十字架刑で処刑されて下さったのだそうです。


イエスによって、

生まれた時からの霊という

私の処刑が

完了している今、

 

聖である霊と呼ばれる方が

私たちのうちに来て下さって、

私たちの心に、

父である方の御思いを

起して下さるのだそうです。


その御思いについて行くとき、

私たちは、

満月のように、

光を受けて、

光を反射しながら

歩むことになるのですね。

 

今日も。

 

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