風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

愛が心に満ちるのだそうです。聖である霊と呼ばれる方の愛が。

あなたたちの神、主を試してはならない。申命記6:16

イエスの言葉:

あなたがたは、

 わたしを愛しているならば、

  わたしの掟を守る。ヨハネ14:15

      (ローズンゲン日々の聖句1/19;火)

 エジプトを脱出したイスラエルの民は、荒野で水がなかったとき、

「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。

私や、子供たちや、家畜を、渇きで死なせるためですか」とモーセに迫り、

主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、

主を試みた(出エジプト17:7)のだそうです。

 詩篇78:18~22には、次のように記されています。

「彼らは欲するままに食べ物を求め、

心のうちで神を試みた。

そのとき彼らは神に逆らって、こう言った。

『神は荒野の中で食事を備えることができようか。

確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て、

流れあふれた。

だが、神は、パンをも与えることができようか。

ご自分の民に肉を備えることができようか。』

それゆえ、主は、これを聞いて激しく怒られた。

火はヤコブに向かって燃え上がり、

怒りもまた、イスラエルに向かって立ち上った。

これは、彼らが神を信ぜず、

御救いに信頼しなかったからである」と。

 

 イスラエルの民は、水がなくて困ったとき、

天の神、主に、「助けてください」とお願いしていく代わりに、

神が答えるかどうか、今度も、つぶやいてみてやれ、逆らってみてやれと、

モーセに逆らったようです。

                                   

 愛、人間の愛は、情に絡めて、相手を自分の思いに従わせようとするようです。

本当の愛は、相手の思っているとおりになりたい、

相手の思っていることが成るように、と願うようです。

 

 だから、イエスを愛しているなら、

イエスが思っておられるとおりになりたいと願うのですね。

何をしなさい、何をしてはならないという前に、

愛しているかどうかが問題のようです。

 

 「聞け、イスラエルよ。

我らの神、主は唯一の主である。

あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、

あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:4)

と言われるわけですね。

今日も。

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