風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

「わたしのきょうだい、姉妹、また母」

この民は、口でわたしに近づき、
 唇でわたしを敬うが、
  心はわたしから遠く離れている。イザヤ書2913
 
 イエスの言葉:
神の御心を行う人こそ、
  わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。マルコ335
 
        (ローズンゲン日々の聖句4/14;木)
 
 口では、言葉では神を信じ、敬っているのですが、心は天の神、主から遠く離れているということもあるようですね。
天の神、主は、それを嘆いておられるのでしょうか。
天の神、主が求めておられるのは、心が通じ合うこと、うわべだけ整えてそれらしい格好をつけても、喜ばれないようです。
 
 イエスは、血縁関係による兄弟姉妹、父母のほかに、霊による兄弟姉妹、父母の関係があるとおっしゃっておられるようですね。霊による家族というものが。
 
 霊による家族。
それは、「神の御心を行う人」であって、表面的な、うわべを取り繕ったそれではなく、心が「父である神」と呼ばれている方と一つ思いになっていて、その、「父である神」と一つになっている思いが自然に行動になって現れている人、そういう人のことのようです。
 
 人間の戒めを教え込まれ、覚え込んでも、それはうわべだけのことで終わってしまうと言っておられるのですね(イザヤ2913)。
 
 「神のひとりのようになり、善悪を知る者となった」(創世記3522)人間の性質を受け継がない、女の子孫として(創世記315)、処女マリヤを通して人の世に来られ(イザヤ714)、すべての人間の身代わりとなり、すべての罪を御自身に引き受けて十字架刑での処刑を受けてくださったイエス。
 
ローマ兵によって、脇腹から槍で突き刺されて死亡が確認され(ヨハネ1934)、墓に葬られ、三日目の日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活され、40日に渡って何度も弟子たちに現れ、ご自分が確かに生きていることを見せ、証明したうえで、オリーブ山から、弟子たちの見ている前で、天の「父である神」の右の座に帰られたイエス。
 
 そのイエスが、受け入れる者一人一人に派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれるもう一人の助け主。
その方は、「父である神」が一人一人に持っていてくださる御思いを、受け入れる者の心に書き付けてくださるのだそうです(エレミヤ3133、エゼキエル362528)。
 
 それで、このことを受け入れた者は、この部分において、「父である神」と一つ思いを持つ者、同じ思いを思う者としていただき、その思いに従って行動していくとき、外側からではなく、内側から、心の側から「父である神」と思いを一つにし、「御心を行う」者、神の家族の一員、イエスと同じように「父である神」を「アバ、父」と呼び(ロマ8:15)、イエスを長兄とする兄弟姉妹の中に加えていただけて、一つ家族として歩めるのだそうです。
今日も。
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