風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私を憐れんで、助けてください。

主よ、あなただけは、私を遠く離れないでください。
  私の力の神よ。今すぐに私を助けてください。詩編22:20
 
盲人のバルテマイは叫んで、
  「ダビデの子イエスよ、私を憐れでください」
    と叫び続けた。マルコ10:47〜48
 
      (ローズンゲン日々の聖句4/16;土)
 
 いつも私たちのすぐ近くにいて、呼べば助けて下さる方。
周りのすべての人が離れ去っても、この方だけは近くにいてくださるのだそうです。
いつまでも私たちと共にいて下さる助け主なのだそうですから(ヨハネ14:16)。
 
 エリコの旧市街と新市街の間の道ばたに座って物乞いをしていた盲人のバルテマイ。
ナザレのイエスが通られると聞くと、大声で叫び始めたのだそうです。
イエスを、ダビデの子孫から生まれると預言されていたキリストだと認めて、大声で憐れみを求めて。
 
「わたしになにをしてほしいのか」と問われるイエスに、
単刀直入に、「私の先生。目が見えるようになることです」と。
 
イエスは、「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたをすくったのです」と答えられたのだそうですが。
すぐさま目が見えるようになったバルテマイは、そのまま、イエスの行かれるところについて行く者となったのだそうですね。
 
 イエスは言われました。
「わたしがいるところに、わたしに仕える者もいるべきです」と。
 
 そして父である方に願っておられるのですね。
「父よ。お願いします。
あなたがわたしに下さったものを私のいるところにわたしといっしょにおらせてください」(ヨハネ17:24)と。
それで、受け入れる者はイエスがおられるところにおるようになるのだそうです。
 
 十字架刑での処刑を受けられる前夜、最後の晩餐の席でイエスは言われました。
「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行く。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたを私のもとに迎えます。
わたしのいるところにあなたがたをも、おらせるためです」(ヨハネ141~6)と。
 
 迎えに、また来て下さるのだそうですね。イエスは。
今日かも。