風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちの求めや思い、すべてをはるかに超えてかなえる事がおできになる方に

主よ、朝ごとに、我らの腕となり、

苦難のとき、我らの救いとなってください。イザヤ書33:2

 

 私たちの内に働く御力によって、

私たちの求めや思い、

全てをはるかに超えてかなえる事のおできになる方に、

教会により、また、キリスト・イエスによって、

栄光が世々限りなくありますように。エフェソ書3:20~21

 

 エレミヤ書20:7~11

 使徒10:34~48(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句6/23;金)

 

 朝ごとに、日々、私たちの力となり、苦難の時、私たちの救いとなってくださる方。

私たちの身代わりとなって、私たちのそむきの責任のすべてを

ご自身の身に負って、十字架刑での処刑を受けてくださり、

三日目に死者の中から新しい霊のからだによみがえり、

40日に渡って弟子たちに何度も現れ、神の国のことを語った後、

天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 

 このイエスを通して受け入れる者のうちに来て下さる〔聖である霊〕と呼ばれる方。

〔父である神〕は、受け入れる者の内に来られたこの方の御力によって、

私たちの求めや思い、すべてをはるかに超えてかなえてくださるのだそうです。

 

 私たちは、自分が本当に幸せになる道を知らず、

また、自分の本心が分からず、ほんとうは何を求めているのかも分からない者ですが、

この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方ご自身が言いようもない深いうめきによって、

私たちのために執り成してくださり、

 

〔父である神〕がすべてのことを働かせて、

私たちの益になるようにしてくださるのだそうですから(ロマ8:26~28)。

 

 天の神、主から、預言者として立てられたエレミヤは、

神が語れと言われたことをエルサレムの人々に伝えたのですが、

指導者たちや多くの人々はエレミヤが語る言葉に反対し、

エレミヤが取り次ぐ神のことばが物笑いとなり、あざけり、そしり、笑いぐさとなったのだそうです。

 

それで、エレミヤは、神のことばを語るのをやめようとしたのですが、

神のことばがエレミヤの心のうちで「骨の中に閉じ込められた、燃えさかる火のようになり、しまっておくのに疲れてたえられなくなった」(エレミヤ20:7~9)のだそうです。

 

 ペテロも、この、内におられる〔聖である霊」の御力に押し出されて、

招かれた外国人コルネリオの家で、

エルサレムの人々が木にかけて殺した、あのナザレ出身のイエスを、

〔父である神〕は三日目によみがえらせ、自分たちに現れさせてくださり、ご一緒に食事もしたこと、

このイエスこそ、生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であり、

この方を信じる者はだれでも、この方、イエスの名によって罪の赦しが受けられることを話していると、

みことばに耳を傾けていたすべての人に、異邦人であるにもかかわらず、〔聖である霊〕と呼ばれる方が下って来られたのだそうです。

 

 私たちも、この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方の御力の現れを見て、

私たちの求めや思い、すべてをはるかに超えてかなえる事がおできになる方に、

「栄光が世々限りなくありますように」と言う人々に加えていただけるのだそうですね。

今日も。

 

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