風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

賜り物、プレゼントなのだそうですから

多くの者が
地の塵の中の眠りから目覚める。
ある者は永遠の生命に入り、
ある者は
永久に続く恥と憎悪の的となる。
ダニエル書12:2

 

罪が支払う報酬は死です。
しかし、神の賜物は、
私たちの主キリスト・イエスにある
永遠の命なのです。
ロマ書6:23

 

 コロサイ書1:24~29
 ルカ7:11~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/29;金)

 


 私たち人間は、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)の、
「さあ、人をわれわれのかたちとして、
われわれの似姿に造ろう」(創世記1:26)との願いによって
造られたものなのだそうです。
 

 私たちが認めようと認めなかろうと、
好むと好まざるに関わらず。

 

 その神は、「われわれ」、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が、

それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛と尊敬において、自由意思で自発的に相手を尊重し、
自分の思いが成ることではなく
相手の思いが成ることを願っておられ、
思いを一つにしておられる方(ヨハネ6:38、8:28、14:10、16:14)。

 

 そして、その、愛による、自由意思での、
自発的な一つの中に加わる者をと願われて人を造られた、
のだそうです。

 

 けれども、私たちの実体は、そうではないように、

初めの人アダムが、神との一つの場に留まらず、
もっと素晴らしい者になろう、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者になろう」として、
造られた場から外れてしまい、
「的外れ(ハマルティア)」な存在になり、
現在の私たちに至っているのだそうです。

 

 【父である神】は、その「的外れ」の責任を
私たちに問うことをしないで済むよう、
代理を立てることを計画されたのだそうです。

 

 この私たち人間の歴史の中に、
【御子である神】を人として派遣し、
ただ一人の「的外れ」になってない方、
人となられた【御子である神】イエスを、
私たちすべての人間の身代わりとして立て、
この方にすべての人間の「的外れ」の責任を負わせて、
神に背き、神に呪われた者として十字架刑で処刑し、
私たちには、責任を問わなくて済むようにするという計画を。

 

 それで、今から2000年ほど前、
神の、そのご計画の時が満ちて、
【御子である神】は、
ダビデの子孫である一人の処女マリアの胎を通して
人間イエスとして、人の世に来られ、

およそ33歳の頃、エルサレム城外で
十字架刑での処刑を受けられたのだそうです。

 

 【父である神】は、私たち一人ひとりを、
このイエスの十字架刑での処刑に合わせて下さり、
「的外れ」になっている、私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わったもの、死んだ者としてくださるのだそうです。

 

 

 十字架に架けられ、死んだイエスは、
近くにあった、
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に
葬られたのですが、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

 

 そして、今、【父である神】の右の座にあって、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によって【父である神】の御思いを私たちの心に置き、
書き記して、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が、この方への愛によって、
自由意思で、自発的に
【父である神】と思いを一つにしながら生きる道を
開いてくださったのだそうです。

 

 それで、終わりの時、
死んだ者が新しいからだに復活し、
生きている者が、からだを一瞬にして新しい復活のからだに
取り替えられて、
エスによるこの新しい生き方を受け取っていた者は
永遠のいのちに入り、
エスと同じ神の子の栄光に輝くのだそうです。

 

しかし、この神からのプレゼントの救いを無視し、
「神の一人のようになり、
自分一人の理性の判断で善悪を知る」、
創造の目的から「的外れ」なった生き方にとどまり続けた者は、
その「的外れ」の責任を自分で負うことになり、
永久に続く恥と嫌悪の中で生きることになるのだそうです。

 

 それで、【父である神】は、私たちが一人も滅びることなく、
すべての人が、この救いを受け取り、
神の栄光の中に生きるようにと願われて、
私たちに伝える人を遣わし、
聖書のことばによって、
この救いの道を示しておられるのだそうです。(コロサイ1:24~29) 
 

 死んでいる者が生きるように、(ルカ7:11~17)と。
新しい生き方の中へ。
今日も。

 

 

 

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