風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

主の家に帰り、永遠の命の中を

命のある限り、
恵みと慈しみとはいつまでも私を追う。
主の家に私は帰り、
生涯、そこにとどまるであろう。
詩23:6

 はっきり言っておく。
わたしの言葉を聞いて、
わたしをお遣わしになった方を信じる者は、
永遠の命を得、
また、裁かれることなく、
死から命へと移っている。
ヨハネ5:24

 民数記6:22~27
 申命記8:1~20(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句1/27;土)

 私たちの命のある限り、
天の神、主からの恵みと慈しみがいつまでも私たちを追いかけて来るのだそうです。
主の家に帰らせてくださり、
子としてくださり、
ご自身の家族として、
いつまでも主の家に住まわせてくださるのだそうですから。

永遠の命とは、
唯一のまことの神である〔父である神〕と
〔父である神〕が人間の世界に遣わされた〔御子である神〕、
イエス・キリストを体験的に知ること(ヨハネ17:3)なのだそうです。
この方との親しい交わりの中で生きること、なのでしょうか。

エスの言葉を聞いて(それを記録した、あの本「聖書」を読んで)、
エスを遣わされた方、〔父である神〕を信じる者は、
永遠の命(父である神、御子である神イエスとの親しい交わり)の中に入れていただけ、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせてくださって
処罰が終わっている者として、
もう、裁きは残っていない者としてくださり、
死から命に移してくださるのだそうです。

それで、言っていただけるのだそうです。
「天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方が
あなたを祝福し、
あなたを守られるように。
主が御顔をあなたに照らし、
あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、
あなたに平安をあたえられますように」(民数記6:24~26)、と。

 

「人はパン(食物)だけで生きるのではない、
人は主、「『わたしはある』という者」と呼ばれる方の口から出る
すべてのもので生きる」のだそうです。

私たちの身代わりになって十字架刑での処刑を受けてくださり、
三日目に死人の中より新しい霊のからだに復活し、
天の父である神の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方。
私たちも、この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いによって
生きる者にしていただけるのだそうです。
永遠の命、 
〔父である神〕、〔御子である神、イエス〕との親しい交わりの中を。
今日も。