あなたたちは、 心変わりして主を離れ、 他の神々に仕えそれにひれ伏さぬよう、 注意しなさい。申命記11:16
自由を得させるために、 キリストは私たちを 自由の身にしてくださったのです。 だから、しっかりしなさい。 奴隷のくびきに二度とつながれてはなりません。ガラテヤ書5:1
ヨハネ21:20~24 マタイ2:13~23(通読箇所) (ローズンゲン日々聖句12/27;木)
天の神、主、 「『わたしはある(I am)』という者と名乗られる方は、 ストーカーではないのですね。 「わたしのほうだけ向いて、他の男に目をそらすな」と強要するような。
私たちを、イエスによって、 自由な身にしてくださったのだそうですから。
戒めで私たちの自由を縛り、 「神を愛すべきだから」と一生懸命努力する、 自分の力で神の戒めを全うしようとする古い契約、「律法主義」の道から、 解放していてくださるのだそうですから。
だから、二度と、その道に帰らないように、 と言われるのですね。
天の神、主から、 「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、 「わたしたちが一つであるように、 彼らも(わたしたちと)一つである」ように と望まれて造られた私たち人間。
けれども、私たちは、天の神、主との「一つ」の中にではなく、 むしろ、対立、対抗しているものとして生まれて来ているようです。 「神のひとりのようになり、善悪を知る」者として(創世記3:5、22)。
ですから、私たち、今は、 天の神、主が用意してくださったものの中で、 恵みの中に生きていますが、 やがては、その神の恵みから完全に切り離されて、 自分で生きなければならない時が来るのだそうです。
けれども、天の神、主は、 なお、私たちと一つになりたいと思い続けておられて、 御子イエスが受けられた十字架刑での処刑によって、 私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を 処刑済み、死んだものとしてくださるのだそうです。
そして、受け入れる者に 〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、 この方によって、ご自身の御思いを私たちの心に置いてくださり、 受け入れる者がご自身と一つ心になるようにしてくださるのだそうです。
〔父である神〕と〔御子イエス〕と 〔聖である霊〕と呼ばれる神が愛し合っておられる、 その愛の中に、 自由な者として、自発的に加わるようにと。
また、私たちは、あの時のペテロのように、 ほかの人が神様からどう扱われるか、気になる、 不自由な者ですが(ヨハネ21:21)、 〔父である神〕は、私たち一人一人にそれぞれご計画を持っておられ、 その御思いのとおりに一人一人にふさわしく 用いてくださるのだそうです。 自由な者として。
今日も。
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