風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

立ち帰り、霊を一つにし、心を一つにして

 主よ、御もとに立ち帰らせてください。
私たちは立ち帰ります。
私たちの日々を新しくして、昔のようにしてください。
哀歌5:21

  イエスの言葉:
父は別の弁護者を遣わして、
永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
この方は、真理の霊である。ヨハネ14:16~17

 

 エゼキエル書11:14~20
 フィリピ書1:27~30(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/3;月)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方の、
「わたしに立ち帰れ」とのたび重なる呼びかけにも応じようとせず、
自分の理性による善悪の判断によって反逆を重ねるイスラエルの民。

 

 その反逆が極まって、これ以上放置できなくなり、
ついにエルサレムは敵の手に渡され、
王を初め、主だった者はバビロンにより捕囚として連れ去られる憂き目の中で、
預言者エレミヤは嘆いて訴えるのですね。

 

 「なぜ、いつまでも、私たちを忘れておられるのですか。
私たちを長い間、捨てられるのですか。
それとも、あなたはほんとうに私たちを退けられるのですか。
きわみまで私たちを怒られるのですか」(哀歌5:20~22)、と。

 

 その反逆が極まる中で、
人間には期待できないことが明らかになった中で、
【父である神】は、
【御子である神】を、「女の子孫」として(創世記3:15)、
ベツレヘムで(ミカ5:2、ルカ2:1~1~20)、
ダビデの子孫である(Ⅱサムエル7:11~13、ルカ1:27)、
ナザレという町の(ルカ1:26、マタイ2:23)ひとりの処女マリヤの胎を通して
人とならせ、
この方がおよそ33歳の頃、
この方を私たちすべての人間の罪を贖(あがな)う身代わりの小羊として立て、
十字架で処刑し、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
「生まれたときからの私」という霊を処刑済み、死んだものとしてくださり、
罪、「的外れ」の責任が果たされたものとしてくださったのだそうです。

 

 このことによって、
私たち「的外れ」になっている人間に【聖である霊】と呼ばれる方が来られても
私たちが滅びてしまわないようにしてくださり、
もうひとりの助け主、別の弁護者として
【聖である霊】と呼ばれる方が受け入れる者に来てくださる道が開けたのだそうです。

 

 【父である神】は、この方によって、
「わたしは彼らに一つの心を与える。
すなわち、わたしはあなたがたに新しい霊を与える。
わたしは彼らから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
それは、彼らがわたしのおきてに従って歩み、
わたしの定めを守り行うためである。
こうして、彼らはわたしの民となり、
わたしは彼らの神となる」(エゼキエル11:19~20新改訳)との約束を
実現していてくださるのですね。

 

 受け入れる者が、
【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして生きるようになる(創世記1:26、ヨハネ17:21~22)ようにと。

 

 それで、受け入れる者には、この方によって神の御思いが心に来て、
キリストの福音にふさわしい生活、
霊を一つにしてしっかりと立ち、
心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘し、
どんなことがあっても反対者たちに驚かされることはない(ピリピ1:27~30)
生活が送れるようにしていただけるだそうです。

今日も。

 

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