風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

実を結び、その実が残るように、と

 わたしは地上から上げられるとき、
すべての人を自分のもとに引き寄せよう。
ヨハネ12:32(6/2の週の聖句)

 

 主は私たちを造られた。
私たちは主のもの、その民、
主に養われる羊の群れ。
詩100:3

 

 あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだのだ。
あなたがたが出かけて行って実を結び、
その実が残るように。
ヨハネ15:16

 

 ヨハネ16:5~15
 詩27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/2;Ⅰ日曜)


 このように、
エスはご自分がどのような死に方をするかを示しておられたのだそうです。

 「上げられる」、
ユダヤの処刑の仕方は、
みんなで取り囲んで石を投げつけて殺すというもでのでした。

 

 だから、この方法では「上げられる」ということはなかったのですね。
ローマの、
しかも国家に反逆したり、重罪人の処刑方法である十字架刑での処刑で、
「上げられる」ということが実現するのですね。

 

 そして、そのときには、
「すべての人を自分のもとに引き寄せよう」と言われる。

 

 天の神、主は、
ご自分の権力によって、
私たちを無理やり、何かをさせるということはなさらない方。

 

 愛によって、自由意思で、自発的にすることを願っておられる方ですから、
エスも、
ご自分の権力で無理やり「引き寄せる」ということではなく、
誰でもがイエスのもとに行こうとすれば行けるようにしてくださる、
道を開いていてくださって、
私たちが来るのを待っていてくださるということなのでしょうね。

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちを創造された方。
私たちはこの方のもの、その民、その牧場の羊。

 

 この方はすべての人がご自分のもとに帰って来ることを
願っておられるのだそうです(Ⅱペテロ3:9)。

 

 けれども、呼びかけを受け入れて、誰が帰って来るのか、
誰が呼びかけを拒否、あるいは無視して帰って来ようとしないのかを
ご存知だということのようです。

 

 私たちすべての人間の身代わりとなって受けてくださった
エスの十字架刑での処刑によって、
私たちの「的外れ」の責任が果たされたものとし、

 そして、死んで葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、天に帰られ、
【父である神】の右の座に復帰されたイエス

 

 そのイエスを通して来てくださる
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方(ヨハネ16:5~15)。

 

 この方が私たちの心に
【父である神】の御思いを置いてくださるので、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようになり、
受け入れる者は、【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして生きる生き方が出来るようにしてくださっているのだそうです。

 

 それで、その人たちが出て行く所で【父である神】の御思いが実現し、
その実が残るようにと、私たちも用いていただけるのだそうです。

 

 だから、主の御顔を、その御思いを求めながら(詩篇27)。

この新しい週も。

 

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