風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

この世に倣う生き方から、目覚め、悟った、神を求める生き方へと

主は天から人の子らを見渡し、
目覚めた人、
神を求める人はいないかと探される。
詩14:2

 

あなたがたは
この世に倣ってはなりません。
むしろ心を新たにして
自分を変えていただき、
何が神の御心であるか、
何がよいことで、神に喜ばれ、
また完全なことであるかを
わきまえるようになりなさい。
ロマ12:2

 

 Ⅰヨハネ4:16
 Ⅰテモテ6:17~21(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/26)

 

 天にいらっしゃる方は、
地上を見下ろし、さがされるのだそうですね。
目覚め、悟る者、ご自身を求める者がいるかどうかを。

 

 愚かな者は心の中で「神はいない」と言い、
心が腐っていて、忌まわしいことを行っているので。

 

 だから、その、この世と調子を合わせ、
この世にならってはいけないと言われるのでしょうね。

 

 【父である神】は、私たちの、「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に
合体させてくださって、
処刑されているもの、死んだ者と認め、計算するように、
と言われるのだそうです。

 

 そして、このイエスによって
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
この方によって、私たちの心に、
私たち一人ひとりに思っておられる
ご自身の御思いを置いてくださり、
私たちが、この方によって心に来た
【父である神】の御思いで生きる、
心を一新して生きるようにしてくださっているのだそうですから。

 

 死んで墓に葬られたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
ご自身が生きていることを見せ、
神の国のことを語った後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されました。

 

 そして、その位にあって、私たちに、
この方、【聖である霊】と呼ばれる方を
派遣してくださるのだそうですから。


 それで、
この、【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって、
私たちも、何が神の御心であるか、
何が善いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを、
わきまえ、見分けられるようにしていただけるのだそうです。

 

 終わりの時代、
預言者、反キリストの霊に動かされる者が
たくさん世に出てくるのだそうです。

 

 だから、霊的であるからと言って、
何でも信じていいわけではないようです。
その霊が
神からのものかどうかを吟味することが必要なのだそうです。
神からの霊は、
人となって来られたイエス・キリストを告白するのだそうですから。(Ⅰヨハネ4:1~6)

 

 
 また、神は、私たちが、
今の世で富んでいたとしても、高慢にならず、
頼りにならない富みに望みを置くのではなく、
私たちに
すべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、
善を行い、立派な行いに富み、
惜しみなく施し、喜んで分け与え、
来るべき世において立派な土台となるものを
自分自身のためにたくわえ、
まことのいのちを得る者にしようと
思っていてくださるのだそうですから。


この世にならう生き方から、
目覚めた者、悟った者の生き方へと。
今日も。

 

 

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