風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

目から、耳から入れるものによって、心は作られるのだそうですから。

神の霊によって導かれるものは皆、
神の子なのです。
ロマ書8:14

 

むなしいものを見ようとすることから、
私のまなざしをそらせてください。
詩119:37

 

あなたがたは、
主キリスト・イエスを受け入れたのですから、
キリストにあって生きなさい。
キリストに根を下ろして造り上げられ、
信仰に堅く立ちなさい。
コロサイ書2:6~7

 

 マタイ3:13~17
 イザヤ書42:1~9(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/10;Ⅱ日曜)

 

 

 イエスの十字架刑での死と
新しいからだへの復活、
【父である神】の右の座への復帰により私たちに来てくださる
【神の霊】、【聖である霊】と呼ばれる方。

 

 この方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって生きていく者は、
神の子の実質を生きる者なのですね。

 

 その人は、むなしいもの、
死によってこの世に置いていくしかないものを
見ようとすることから、意識的に目をそらし、
見ようとしなくなる、
耳に入れようとしなくなり、
永遠の世界、神の国に通じることを見、
聞くようになるのだそうです。

 

 私たちの身体が食べた物によって作られて行くように、
心も、目や耳から心に入れることによって
作られていくことになるのだそうですから。

 

 聖書のメッセージにより、
エスを救い主、主キリストとして受け入れた者は、
エスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いの中を生き、
この方の御思いの中に根を下ろし、
いよいよこの方への信頼を強くしていくのだそうです。

 


 このイエスこそ、【父である神】から、
「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」との
お声がかかった方。(マタイ3:17)

 

 また、
「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、
わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々にさばきを行う。
 

彼は叫ばず、言い争わず、
通りでその声を聞かせない。
痛んだ葦を折ることもなく、
くすぶる灯芯を消すこともなく、
真実をもって裁きを執り行う。


衰えず、くじけることなく、
ついには地にさばきを確立する。
島々もそのおしえを待ち望む。」

 

天を創造し、これを延べ広げ、
地とその産物を押し広げ、
その上にいる民に息を与え、
そこを歩む者たちに霊を授けた神なる【主】は
こう言われる。
「わたし、【主】は、義をもってあなたを召し、
あなたの手を握る。
あなたを見守り、
あなたを民の契約として、国々の光とする。


こうして、見えない目を開き、
囚人を牢獄から、
闇の中に住む者たちを獄屋から連れ出す。


わたしは【主】、これがわたしの名。
わたしは、わたしの栄光をほかの者に、
わたしの栄誉を、刻んだ像どもに与えはしない。
初めのことは、見よ、すでに起こった。
新しいことをわたしは告げる。
それが起こる前にあなたがたに聞かせる」(イザヤ42:1~9)
とイザヤによって預言されていた方。


私たちも、この方によって
【父である神】の御思いの中を生きるのですね。

この新しい週も。

 

 

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