風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

柔らかな言葉、平和を実現する者にと

 柔らかな応答は怒りを静め、
傷つける言葉は怒りをあおる。
箴言15:1

 

 平和を実現する人々は、幸いである。
その人たちは神の子と呼ばれる。
マタイ5:9

 

 ルカ18:31~43
 マタイ26:57~68(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/13;土)

 
 人は、心に満ちていることを口が話すのだそうです(マタイ12:34)。
柔らかな、優しい心の人からは柔らかな言葉が出てきます。

 

 しかし、「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている私たち(創世記3:5、22)、

 

 「私は天に上ろう。
神の星々のはるか上に私の王座を上げ、
北の果てにある会合の山にすわろう。
密雲(神の御座をおおっている)の頂に上り、
いと高き方のようになろう」とするサタンの性質を受けて
「的外れ」になっている私たちは、

自分を一番上に置き、
よいもののすべてを独占しないと気が済まないのですね。

 

 その私たちの心から出て来る思いは、
人を批判し、傷つける思いであり、
その口からは傷つけ、怒りをあおる言葉が出て来ることになるのですね。

 

 イエスは弟子たちに言われました。
「さあ、これから、
わたしはエルサレムに向かって行きます。
人の子について預言者たちが書いているすべてのことが
実現されるのです。
人の子は異邦人に引き渡され、
そして彼らにあざけられ、
はずかしめられ、つばきをかけられます。
彼らは人の子をむちで打ってから殺します。

しかし、人の子は三日目によみがえります。」(ルカ18:31~33新改訳)と。

 

 そして、あの夜、
大祭司から派遣された人々は、
十五夜に近い月明かりのゲツセマネの園でイエスを捕らえ、
エスを大祭司カヤパのところへ連れて行ったのだそうです。

 

 大祭司はユダヤの最高議会を開き、
エスを死刑にするために、
エスを訴える偽証を求めたのですが、
証拠はつかめなかったのだそうです。

 

 そこで、大祭司が言ったのですね。
「私は生ける神によっておまえに命じる。
おまえは神の子キリストなのか、答えよ」と。

 

 イエス
「あなたが言ったとおりです。
しかし、わたしはあなたがたに言います。
あなたがたはいまから後に、
人の子が力ある方の右の座に着き、
そして天の雲に乗って来るのを見ることになります」と答えられ、

「神への冒涜だ。彼は死に値する」とされたのだそうです。

 

 そして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、
こぶしでなぐりつけ、また、平手で打って、
「(おまえが全知なる神、キリストなら)当てて見ろ。
おまえを打ったのはだれか」(マタイ26:57~68)と侮辱したのですね。

 

 そして、ユダヤの死刑の仕方は石打の刑なのですが、
その当時、ユダヤはローマの支配下にあり、
ユダヤ人には死刑が許されていなかったので、
ローマ総督ピラトに訴え出たのだそうです。

 

 そして、ピラトが無罪を認めて釈放しようとするのを、
大衆をもって暴動を起こす勢いで迫り、
無理やり死刑の判決を出させて、
異邦人であるローマ兵の手によって、
ローマの処刑の方法である十字架刑で処刑させることに成功したのだそうです。

 

 このようにして、サタンは
「女の子孫」として来られた方のかかとにかみついたのですが、
しかし、そのことがサタンの頭を踏み砕く」(創世記3;15)
ことになったのだそうです。

 

 【父である神】は、
この、イエスが受けられた十字架刑での処刑をもって、
私たちすべての人間の「的外れ」の責任が果たされたもの、
私たちの処刑が終わったものとしてくださるのだそうです。
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
死んだものとしてくださって。

 

 さらに【父である神】は
死んで墓に葬られたイエスを三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日に渡って何度も弟子たちに現れさせた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
ご自身の右の座に復帰させなさったのだそうです。

 

 そして、このイエスを通してもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、
この方によって、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを、
一人一人の心に置き、書きしるしてくださって、
受け入れる者の心に
ご自身の御思いがあるようにしてくださるのだそうです。
受け入れる者がご自身と一つ心になるようにと。

 

 それで、受け入れる者は
神と思いを一つにする「神の子」の身分を与えていただき、
エスのように、柔らかな応答をする者に、
平和を実現する者にもしていただけるのだそうです。
エスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって。

 サタンの、私たちを地獄の道連れにしようとする目論見を打ち破って。

今日も。

 

 

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天にあるもの、地にあるもの、すべてを造られ、指揮しておられる方によって

 わたしは自分の手で天を広げ、
その万象を指揮するもの。
イザヤ書45:12

 

 天にあるものも地にあるものも、
見えるものも見えないものも

王座も主権も、
支配も権威も、
万物は御子によって、
御子のために造られました。
コロサイ書116

 

 ヘブル書9:11~15
 マタイ26:31~35(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句4/10;水)


 主は恵み深く正しくいまし、
罪人に道を示してくださいます。
詩25:8

 

 ペトロがイエスに言った。
「主よ、兄弟が私に対して罪を犯したなら、
何回赦すべきでしょうか。
7回までですか。」
エスは言われた。
「あなたに言っておく。
7回どころか7の70倍までも赦しなさい。」
マタイ18:21~22

 

 エレミヤ書15:15~21
 マタイ26:36~46(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/11;木)

 

 「このわたしが地を造り、
その上に人間を創造した。
わたしはわたしの手で天を引き延べ、
その万象に命じた」と言われる方。

 

 その万物、
天にあるもの、地にあるもの、
見えるもの、見えないもの、
王座も主権も、
支配も権威も造られた方である
【御子である神】が、
天の、その栄光の位を後にして、
人となって、人の世に来てくだったのですね。
しかも、仕えるために、
すべての人間の「的外れ」の責任をご自身に負って
神に反逆した者、神に呪われた者となって
十字架刑での処刑を受けられるために。

 

 私たちを贖(あがな)い、買い戻して、
死んだ行いから離れさせ、
生ける神に仕える者にするために(ヘブル9:11~15)。

 

 私たちの信仰は、
あのペテロのように、
「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、
私は、あなたを知らないなどとは決して申しません」
と言っておきながら、
その夜のうちに、女中や下役の
「あなたはあのイエスといっしょだった」という言葉に、
大慌てで、「そんな人は知らない」と
呪をかけて誓ってまで言うような、
当てにならないものです(マタイ26:31~35、69~75)。


 天の神、主は、私たちのそのような実態をよくご存じで、
私たちの信仰によらず、
ご自身の信において、
私たちの「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスの十字架刑での処刑に合わせて
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、受け入れる者に、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によって、
ご自身の御思いを私たちの心に置いてくださるのだそうです。

一日に、7の70倍までも赦してくださる恵み深い御思いを。

 

 それで、受け入れる者は、
天の神、主の恵み深い御思いと
思いを一つにして生きるようにしていただけるのだそうです
(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)。

 

 天地万物、万有を造られた方、
愛において【父である神】と思いを一つにしておられる
【御子イエス】と思いを一つにして。

今日も。

 

 

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夜回りが暁を待ち望むように

 私の魂は主を待ち望みます。
見張りが朝を待つにもまして。
1306

 

 愛する人たち、
あなたがたは
最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。
聖霊の導きの下に祈りなさい。
神の愛によって自分を守り、
私たちの主イエス・キリストの憐れみを
待ち望みなさい。
ユダ書20~21

 

 エフェソ書2:11~16
 マタイ26:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/8;月)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
恵みがあり、
豊かな贖(あがな)いがある方。

 

 それで、私たちはこの方を待ち望むのですね。
夜の見張りが朝の交代の時間を待ち望むのにもまさって。

 

 異邦人である私たち、
以前には、キリストから離れ、
イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
この世にあって望みもなく、神もない者でした。

 

 しかし、遠く離れていた私たちも、
今ではキリスト・イエスの中にあることにより、
キリストの血によって近い者とされました。

 

 キリストこそ私たちの平和であり、
二つのものを一つにし、
隔ての壁を打ちこわし、
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。

敵意とは、さまざまな規定から成り立っている
戒めの律法なのです。

 

 このことは、
二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、
平和を実現するためであり、

 また、両者を一つのからだとして、
十字架によって神と和解させるためなのです。

敵意は十字架によって葬り去られました(エペソ2:11~16新改訳)。

 

 ですから、私たちはこの方への信頼において生活するのですね。
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる思い、願いのままを
【父である神】に申し上げ、知っていただきながら、
神の愛のうちにとどまり続け、
永遠のいのちに至らせる、
私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望んで。

 

 ベタニヤのマリヤが、
労働者の1年分の給料にも当たるような高価なナルドの香油を
つぼごと割って
十字架刑での処刑を受けようとしているイエスの頭に注いだように(マタイ26:1~16)

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって、
エスへの愛を心に置いていただいて。

今日も。

 

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歓びが内にあり、それに満たそうと

 人の子は、仕えるために、
また、多くの人の身代金として
自分の命を献げるために来た。
マタイ20:28(4/7の週の聖句)

 

 命の神に向かって、
私の身も心も叫びます。
詩84:3

 

 イエスの言葉:
父がわたしを愛されたように、
わたしもあなたがたを愛してきた。
わたしの愛にとどまりなさい。
これらのことを話したのは、
わたしの喜びがあなたがたの内にあり、
満たされるためである。
ヨハネ15:9、11

 

 マルコ10:35~45
 詩69:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/7;Ⅰ日曜)

 

 私たちが叫び求める神、呼び求める神は、
私たちのことを愛し、大切に思っていてくださる方なのですね。

 私たち人間を、
「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて」
とイメージしてくださり、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
互いに愛し、尊敬し合うゆえに、
自由意思で自発的に心を一つにし、存在を一つにしておられる、
それを表すかたち、モデルとして私たち人間をイメージし、
そのとおりに創造してくださったのだそうですから。

 

 そして、その創造された場にとどまることを善しとせず、
もっと素晴らしい者に、神のようになろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
神と心を一つにしようとせず、
自分ひとりの理性の判断だけで善し悪しを決定する
「的外れ」になっているわたしたち人間を
廃棄処分にすることなく、
なお、愛して、

エスが言われたように、
「それは父よ、あなたがわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らがみな(わたしたちと)一つになるためです。
また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。
わたしたちがひとつであるように、
彼らも(わたしたちと)一つであるためです」(ヨハネ17:21~22新改訳)と、
「われわれのかたち」に
【われわれ】の一つを表す者に
回復しようとしていてくださるのだそうですから。

 

 【御子である神】が、
天での栄光の御座をあとにして、
「女の子孫」(創世記3:15)として、人の世に下り、
私たち、すべての人間の身代金、贖(アガナ)い、買い戻しの代金、となって、
私たち、すべての人間の「的外れ」の責任をご自身に背負って、
神に反逆し、神に呪われたものとなって、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 

 そして、私たち自身である、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
このイエスの処刑に合わせて処刑が終わっているもの、
死んだものとしてくださって。

 

 そのうえで、【父である神】は、
処刑を受け、死んで葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日に渡って何度も弟子たちに現れさせ、
神の国のことを伝えた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰なさせたのですね。

 

 そして、このイエスを通して、

もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、
この方によってご自身の御思いを私たちの心に置き、
書きしるしてくださって(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)、
【われわれ】の御思いが私たちのうちにあり、
私たちの思いが【われわれ】のうちにあるようにしてくださるのだそうです。

 

 私たちを、
【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく生まれた者(ヨハネ3:3~8)、
新しい生き方をする者(ガラテヤ5:24~25)に。

 

 それで、私たちは、
この愛を受け続け、とどまり続け、
喜びに満たされ続けていくようにしていただけるのですね。

 

 イエスがそうされたように
皆に仕える者、皆のしもべの心にしていただき(マルコ10:35~45)、


ダビデが、あの詩篇で叫んでいるように(詩篇69:1~16)、
心のままを、ありのままの思いを神に叫び、
聞いていただき、見ていただき、
私の思いが、
【われわれ】、神の御思いの中にあるようにしていただきながら。

この新しい週も。

 

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生きるのだそうです。枯れ果てた骨のような私たちでも。

 彼らは言う。
「我々の骨は枯れた。

われわれの望みはうせ、我々は滅びる」と。
それ故、彼らに語りなさい。
主なる神はこう言われる。
わが民よ、
わたしはお前たちを墓から引き上げ、
イスラエルの地へ連れて行く。
エゼキエル書37:11~12

 

 イエスの言葉:
死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。
今やその時である。
その声を聞いた者は生きる。
ヨハネ5:25

 

 Ⅱコリント4:11~18
 サムエル記上30:1~31(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/4;木)


 死んで、からからに乾いた骨のように、
望みはなくなり、滅び失せるしかない、
そのような状態の私たちにも、
天の神、主は言われるのですね。

「お前たちを墓から、
死人の中から引き上げて、
約束の地に連れて行く」と。

 

 神の霊と呼ばれる方が来てくださり、
私たちのうちに入ってくださると、
私たちは生きるようになるのだそうですから。

 

 イエスは言われました。
「父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、
子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。

 まことに、まことに、あなたがたに告げます。
わたしのことばを聞いて、
わたしを遣わした方を信じる者は、
永遠のいのちを持ち、
さばきに会うことがなく、
死からいのちに移っているのです。
墓の中にいる者がみな、
子の声を聞いて出て来る時が来ます。
善を行った者は、よみがえっていのちを受け、
悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです」(ヨハネ5:21、24、28~29新改訳)と。

 

 神の御子であるイエスの声を聞く者は生きるのだそうです。
そして、使徒パウロが言うように、
「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、
それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、
信じているゆえに語るのですね。
主イエスをよみがえらせた方が、
私たちをもイエスとともによみがえらせ、
あなたがたといっしょに
御前に立たせてくださることを知っているのですから。

 

 たとい私たちの外なる人は衰えても、
【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださって始まった
内なる人は日々新たにされていくのですから(Ⅱコリント4:11~18))。

 

 留守中にアマレク人の略奪隊が町を襲い、
女たちを、子どもも大人もみな、とりこにして連れ去ったとき、
ダビデはこれを追撃して、
奪われたものを全部取り戻し、
分捕り物を公平に分け、
また、友人たちに贈り物をしたように(Ⅱサムエル30:1~31)、

 天の神、主は、
死と滅びの中にいる私たちを、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑によって取り戻し、
ご自身の霊、
【聖である霊】と呼ばれる方を送ってくださって
私たちを生かしてくださるのだそうです。
神の子の声を聞き、信頼する者は生きるのですから。

今日も。

 

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誰か、いるでしょうか。このようなことをなさる方が。

【主】よ、
あなたのような方が誰かあるでしょうか。
あなたのように聖において輝き、
ほむべき御業
(ミワザ)によって恐れられ、
くすしき御業を行なう方が
ほかにあるでしょうか。
出エジプト記1511


 私たちは知っています。
神の子が来て、
真実な方を知る力を与えてくださいました。
私たちは真実な方の内に、
その御子キリストの内にいるのです。
Ⅰヨハネ5:20~21

 

 ヨハネ15:9~17
 サムエル記上28:3~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/3;水)


 人間の世に神と呼ばれるものはたくさんあります。
しかし、聖書によってご自身を掲示されている
この方のような神がいるでしょうか。

 考え方とか、思想ではなく、
この、私たち人間の歴史の中の事実をもって
ご自身を現わしておられる方、
「わたしが神だ」とおっしゃる方が。

 

 歴史的な事実として、
【神の御子】である方が私たち人間の歴史の中に来て、
真実な方を知る力を与えてくださったのですね。

 

 聖書に預言されているとおりに、
「女の子孫」(創世記3:15)として、
ナザレ村のダビデの系列である一人の処女マリヤの胎を通して、
ダビデの町ベツレヘムに生まれ、
貧しい大工の子として育ち、
およそ33歳の頃、十字架刑での処刑を受けられたのですね。

 

 けれども、【父である神】は、
死んで、墓に葬られたこの方を、
三日目、日曜日の早朝、
死者の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語らせた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天のご自身の右の座に復帰させられたのだそうです。

 

 さらに、その10日後、
ペンテコステ(五旬節)、
イスラエルの民にモーセを通して律法が与えられ、
旧い契約が結ばれたその記念日に、
実現したのだそうです。

 

 神の霊と呼ばれる方が
私たちに来られて、
受け入れる者の心に
神の御思いがあるようにしてくださるという
新しい契約(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)が。

 

 【父である神】の右の座に着かれたイエスを通して、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が、
エスの遺言によってこの方を待ち望んでいた
120人ほどの弟子たちに来られて。

 

 弟子たちは、
この【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのとおりに話し出したのだそうです(使徒2:1~40)。

 

 この方によって私たちも
エスが真実な方、「信」である方であることを知るようになり、
「わが神、わが主よ」と告白する者にしていただけるのだそうです。

 

 そして、イエスが、
「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになるためです。
それは、わたしたちが一つであるように、
彼らも(わたしたちと)一つであるためです」(ヨハネ17:21~22新改訳)
と言われたとおりに、
【父である神】の御思いが私たちの中にあり、
私たちの思いも【父である神】の御思いの中にあるように
していただけるのだそうですから。

 

 【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が
互いに愛し合い、
一つになっておられる、
その愛が私たちのうちにもあるようにしていただけて(ヨハネ15:9~17)。

 

 また、【父である神】が私を通してしようと思われる、
その御思いのとおりをしていく者に
していただけて(Ⅰサムエル28:18、ヨハネ14:12)。

 

 事実として、このようなことをしてくださる神が、

ほかにはいるでしょうか。
今日も。

 

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喜び平和、希望で満ちあふれさせて

 主よ、
あなたは貧しい人に耳を傾け、
彼らの心を確かにしてくださる。
詩10:17

 

 希望の源である神が、
信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とで
あなたがたを満たし、
聖霊の力によって
希望に満ちあふれさせてくださるように。
ロマ書15:13

 

 ヨハネ6:26~35
 サムエル記上25:18~42(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/1;月)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
貧しい者の願いに耳を傾け、聞いてくださる方。
彼らの心を確かにし、強くしてくださる方。
私たちの希望の出どころ、源であってくださる方。
この方への信頼によって得られる
あらゆる喜びと平和で満たし、
〔聖である霊〕と呼ばれる方の御力によって、

私たちを望みにあふれさせてくださるのだそうですから。

 

 永遠のいのちに至る食物、
天の〔父である神〕の身許から下って来て、
私たちにいのちを与えてくださる神のパンであるイエスへの
信頼を確立してくださるのだそうです(ヨハネ6:26~35)。

エスを「わが神、わが主よ」と呼ぶ心を起こして。

 

 アビガイルが、顔を伏せて地面にひれ伏し、
ダビデを「ご主人さま」と呼んだように(Ⅰサムエル25:18~42)。

 

 私たちにも。
今日も。

 

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