風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

言い表し、明るい、光の中の出来事にしていただき

背(そむ)きの罪は私たちと共にあり、
私たちは自分の咎(とが)を知っている。
主に対して偽り背き、
私たちの神から離れ去ることを。イザヤ書59:12~13

 自分の罪を公に言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、
あらゆる不義から私たちを清めてくださいます。Ⅰヨハネ1:9

 創世記1:14~19
 サムエル記下11:1~27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/15;水)

 私たち、人間は、
天の神、主、
「『わたしはある(
I am)』という者」と名乗られる方によって
造られたもの、なのですね。

 

 「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして。
われわれに似せて」と仰せられて(創世記1:26)。

 

 愛において、
自由意思で、自発的に
一つになることを願う者を、と。

 

 愛は、愛する相手と心を一つにし、
行動を一つにし、存在を一つにしたいと願うものなのだそうですから。

 

 けれども、最初の人、アダムが、
造り主、天の神、主との一つの場にとどまることを善しとせず、
もっと素晴らしい者に、
神のようになろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)以来、
私たちは、この神の創造の目的から
「的外れ」になったものとして生まれて来ています。

 

 神に背き、神に対立、対抗して、
自分一人の理性の判断で事の善し悪しを決定していく者、
そして神から身を隠す者に(創世記3:7~8)。

 

 ダビデが、王としての地位が安定したとき、
自分の好ましいと思う思いのままに、
戦場に出て留守中の忠実な部下ウリヤの妻を召し入れ、
身ごもったのを隠すために
ウリヤを戦場から呼び戻し家に帰らせようとしたけれど、
ウリヤは、
「私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。
それなのに、私だけが家に帰り、
飲み食いして、妻と寝ることができましょうか」と、
王宮の門のあたりで、自分の主君の家来たちといっしょに眠り、
家に帰ろうとしなかったのだそうです。

 

 それで、ダビデは、将軍のヨアブ宛に
「ウリヤを激戦地に出し、戦死させるように」との手紙を書き、
ウリヤに持たせて戦場に送り返し、ウリヤを戦死させて
自分の不倫を隠そうとしたように(Ⅱサムエル11:1~27)。

 

 その、「的外れ」の者の集まりでは、
公義は私たちから遠ざかり、
義は私たちに追いつかず、
光を待ち望んだが、見よ、やみ。
輝きを待ち望んだが、暗やみの中を歩む。
私たちは盲人のように壁を手さぐりし、
目の見えない者のように手さぐりする。
真昼でも、たそがれ時のようにつまずき、
やみの中にいる死人のよう。
熊のようにほえ、鳩のようにうめく。
公儀を待ち望むが、それはなく、
救いを待ち望むが、それは私たちから遠く離れている(イザヤ59:9~11)、
のですね。

 

 けれども、天の神、主は、
私たちが自分の罪、「的外れ」の存在を認めて、
公に言い表すなら、
その罪、「的外れ」を赦し、
あらゆる不義から私たちをきよめてくださるのだそうです。

 

 私たちの「的外れ」の責任、不義のすべてを御子イエスの上に置いて、
この方を神に背いた者、神に呪われたものとして十字架刑で処刑し、
「的外れ」、「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうですから。

 

 そのうえで、【父である神】は、
墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、死人のうちから新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語らせたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのですね。

 

 そして、このイエスの十字架刑での処刑による、
〔生まれたときからの私〕という霊の死をを受け取った者に、
このイエスを通して、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によってご自身の御思いを私たちの心に置き、
受け入れる者がご自身と一つ思いを思い、
一つ心になるようにしてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
受け入れるものの心を一新して(ロマ12:1~2)。

 

 私たちを照らし、明るい光の中を歩むようにと。
天地創造の4日目、太陽と月と星が地上を照らし、
昼と夜とをつかさどり、
光とやみとを区別されたように(創世記1:14~19)。

 

 私たちも、自分の罪、「的外れ」を認め、
御前に言い表し、
見ていただき、知っていただいて、
私たちの思いが神の中にあるようにしていただき(ヨハネ17:21)、
明るい、光の中の出来事としていただきながら。

今日も。

 

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豊かな報いの約束、あなたは?

 ボアズはルツに言った。
「主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに
十分に報いてくださるように。」
ルツ記2:12

 

 パウロの手紙:
ケンクレアイの奉仕者でもある、
私たちの姉妹フェベを紹介します。
聖なる者たちにふさわしく、
また、主に結ばれている
(主にある)者らしく彼女を迎え入れ、

どんなことでも助けてあげてください。ロマ書16:1~2

 創世記1:9~13
 サムエル記下7:17~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/14;火)


 天の神、主、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
ご自身のもとに逃れて来た者を守り、
充分に、豊かに報いてくださる方なのですね。

 

 夫も、二人の子どもも失い、国に帰ろうとする義母、
ナオミから離れて自分の民の所へ帰ろうとはせず、
「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。
あなたの行かれるところに私も行き、
あなたの住まれるところに私も住みます。
あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
あなたの死なれる所で私は死に、そこで葬られたいのです」と、
異邦人、モアブの女でありながら、
何もかもなくして国に帰る義母、直美と共に
ユダのベツレヘムに帰って来た嫁のルツ。

 

 天の神、主は、親戚のボアズを通して豊かに扱ってくださり、
ダビデ王の曾祖母として、
イエス・キリスト系図に名を連ねることにもしてくださったのですね。

 

 使徒パウロは、ローマに行くフィベを
ローマにいる信仰の仲間たちに推薦、紹介して、
主イエスにあってこの人を歓迎し、
助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてくださいと
手紙に書き送っています。

 

 神が天と地を創造されたとき、
最初、地球は全面、水に覆われていたのでしょうか。

 

 神が、「天の下の水が一所(ひとところ)に集まれ。
かわいた所が現れよ」と仰せられると、そのようになり、
地と海が分かれたのだそうです。

 

 また、「地が植物、
すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、
種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ」と仰せられると、
そのようになったのだそうです(創世記1:9~13)。

 

 ダビデは言いました。
「神、主よ。
私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、
あなたはここまで私を導いてくださったのですか。
神、主よ。この私は御目には取るに足りない者でしたのに、
あなたは、このしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。

 今、どうぞあなたのしもべの家を祝福して、
とこしえに御前に続くようにしてください。
神、主よ。あなたが約束されました。
あなたの祝福によって、
あなたのしもべの家はとこしえに祝福されるのです」(Ⅱサムエル7:18~19、29新改訳)。

 

 しかし、私たちはこのダビデへの約束が部分的には実現していますが、
完全には成就していないのを見ています。

 

 それは、あの、ベツレヘムに生まれ、ナザレ村で育たれたイエスが、
三度目に来られる時、
エルサレムが世界連合軍に攻撃され、今、まさに壊滅しようとする、その時、
エスがオリーブ山に立たれ(ゼカリヤ14:1~5、黙示録19:11~)、
エルサレム入城されるそのとき、
この神の約束は完全に成就する、ということのようです。

 イエスは、二度目は、
私たちを天に引き上げ、
迎えるために来られるのだそうですから(Ⅰコリント15:50~52、Ⅰテサロニケ4:14~17)。

 

 その日を待ち望んで、
御翼のもとに逃げ込み、
【聖である霊】と呼ばれる方によって
エスのうちにいる者、
思いを一つにする者にしていただきながら(ヨハネ17:21~22)。

今日も。

 

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新しく創造された私、を、もらいませんか。

 キリストと結ばれる人は
だれでも、新しく創造された者なのです。
Ⅱコリント5:17(5/12の週の聖句)

 

  主は恵み深く、
苦しみの日には砦となり、
主に身を寄せる者を御心に留められる。
ナホム書1:7

 

 私たちは、
四方から苦しめられても行き詰まらず、
途方に暮れても失望しません。
Ⅱコリント4:8

 

 ヨハネ15:1~8
 詩103(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/12;Ⅱ日曜)


 日の出る所から日の入る所まで、
諸国の間でわが名はあがめられる、
と万軍の主は言われる。
マラキ書1:11

 

 すべての舌が、
イエス・キリストは主である」と公に宣べて、
父である神をたたえるのです。
フィリピ書2:11

 

 創世記1:6~8
 サムエル記下7:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/13 ;月)


 イエスは、
これから、ご自分が捕縛され、
明日には、十字架刑での処刑を受けることになる、
その夕食の席で、【父である神】に祈られました。

 

 「それは、父よ、
あなたがわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになるためです。
わたしたちが一つであるように、
彼らも(わたしたちと)一つであるためです」(ヨハネ:17:21~22)と。

 

 【父である神】は、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
私たちの生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせてくださって、
処刑済みのもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、墓に葬られ、
三日目、日曜日早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語った後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の助け主(ヨハネ14:16)、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださるのですね。

 

 そして、この方によって、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを
私たちの心に置いてくださり、
ご自身の御思いが私たちの心にあるようにしてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 また、私たちがイエスの十字架刑での処刑を通して、
心に去来する思いの一つ一つを
【父である神】の御前に差し出し、
見ていただき、知っていただいて、
何一つ、隠していることのない明るい関係、光のうちに入れてくださって、
私たちの思いが、
「わたしたち」、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神のうちに
あるようにしてくださるのだそうです。

 

 この、私たちの、
これを受け取り、イエスと結ばれる、
エスの内にあるようにしていただいている部分は、
神と一つにされた、新しく創造された部分なのですね。

 

 それで、砦のような神の守りの中にあって、
苦しめられても、窮する、困り切ることはなく、
途方にくれますが行き詰り切ることはないのですね。

そのままで、一歩踏み出してみれば、次の一歩を開いてくださり、
いつしか、通り過ぎているようにしてくださるのだそうですから。

 

 それで、この方は、日の出る所から日の入る所まで、
すべての所であがめられるのですね。
私たちも、「イエス・キリストは主である」と告白して。

 

 この方が、この世界の初め、天と地を創造されたとき、
「大空が水の真っただ中にあれ。
水と水との間に区別があれ」と仰られると、
そのようになったのだそうです(創世記1:6~8)。

 

 そして、ダビデが神の家を建てたいと申し出たとき、この方は言われました。
「わたしはあなたのために一つの家を造る。
あなたの日数が満ち、
あなたが先祖たちとともに眠るとき、
わたしはあなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、
彼の王国を確立させる。
わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。
あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、
あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(Ⅱサムエル7:1~16)と。

 

 この、ダビデの系列のマリヤの胎を通して人となられた方、
ナザレ村のイエス

 

 この方が三度目に来られて樹立される王国はとこしえに続くというのですね。

 

 それで、私たちも、
イエス・キリストは主である」と公に告白するすべての人々と共に
「わがたましいよ。【主】をほめたたえよ」(詩篇103)とうたいながら。

今日も。

 

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平安とか、祝福、ありますか?

主が御顔をあなたに向けて、
あなたに平安を賜るように。
民数記6:26

 

 あらゆる人知を超える神の平和が、
あなたがたの心と考えとを
キリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピ書4:7

 

 ヨハネ14:1~6
 サムエル記下6:1~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/11;土)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
アロンとその子らに
このように祝福して言いなさいと言われました。

 

 「『【主】があなたを祝福し、
あなたを守られますように。
【主】が御顔をあなたに照らし、
あなたを恵まれますように。
【主】が御顔をあなたに向け、
あなたに平安を与えられますように。』

 

 彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、
わたしは彼らを祝福しよう」(民数記6:23~27新改訳)と。

 

 また、使徒パウロを通しても言われます。
「何も思い煩わないで、
あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いを
キリスト・イエスにあって守ってくれます」(ピリピ4:6~7)。

 

 イエスは、間もなく、
ご自身が捕らえられ、処刑され、死んでしまう出来事に遭遇して、
心騒がせることになるであろう弟子たちに言われました。

 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。
あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいるところに、あなたがたもおらせるためです。

 わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ14:1~6)。

 

 私たちも、イエスのいるところに、
エスと一緒にいる者にしていただき、
エスを通して、
【父である神】の御前にはばかることなく出て行き、
信仰のない、
自分一人で思い煩う心を
隅々まで見ていただき、知っていただきながら、
神の祝福と平安の中を進むのですね。

 

 天の神、主が、
神の箱を受け入れた
オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福されたのを見て、
ダビデも安心して、
神の箱の前で力の限り踊りながら、
神の箱をダビデの町にかつぎ上らせたように(Ⅱサムエル6:9~19)。

 

 イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父】と思いを一つにしている平安と祝福の中で。

今日も。

 

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御使いを、私たちの行く先に派遣して

 アブラハムは僕に答えた。
「主は、
お前の行く手に御使いを遣わしてくださる。」
創世記24:7

 

 天使は婦人たちに言った。
「恐れることはない。
十字架につけられたイエスについて、
急いで行って弟子たちに告げなさい。
『死者の中から復活された。
そしてガリラヤに行かれる。
そこでお目にかかれる』と。」
マタイ28:5、7

 

 マタイ26:30~35
 サムエル記下5:17~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/10 ;金)


 アブラハムが、
一人息子イサクのために嫁を迎えるべく、
アラム・ナハライム(メソポタミアの北部の地方)へ、しもべを遣わすとき、
このように言って送り出したのだそうです。


 そして、天の神、主は、
このアブラハムのことばのとおりに、このしもべを導いて、
アブラハムの兄弟ナホルの子、ベトエルの娘のリベカと
出会うようにしてくださったのだそうです。

 

 イエスは、最後の晩餐となった過ぎ越しの食事をしたあと、
オリーブ山に出かけたのですが、
そのとき、弟子たちに言われたのですね。
「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。
『わたしが羊飼いを打つ。すると羊の群れは散り散りになる』(ゼカリ13:7)
と書いてあるからです。
しかし、わたしは、よみがえってから、
あなたがたよりも先に、ガリラヤに行きます」と。

 そして、「たとい、全部の者がつまずいても、
私は決してつまずきません」と言うペテロに、
エスは言われました。
「まことに、あなたに告げます。
今夜、鶏が鳴く前に、
あなたは三度、わたしを知らないと言います」(マタイ26:30~35)と。

 

 そして、その言葉のとおりに、
ゲツセマネの園でイエスが捕縛されたとき、
弟子たちは逃げ去って散り散りになり、
エスのあとを追って、
エスの裁判がなされている大祭司の庭まで忍び込んだペテロは、
そこで、女中や下役たちから「あなたもあのイエスの弟子だ」と言われて、
三度、誓ってまでイエスを知らないと言ったそのとき、
鶏が鳴いたのだそうです。

 

 そして、十字架刑で処刑されたイエスのからだを、
隠れ弟子であったアリマタヤのヨセフがピラトに願い出て引き取り、
近くにあった、自分のために掘ってあった墓に葬ったのですが、

 三日目、日曜日の明け方近く、
マグダラのマリヤたち、数人の婦人たちが墓に行ってみると、
そこにイエスのからだはなく、
光り輝く衣を着た青年が彼女たちに伝えたのですね。

 「あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、
私は知っています。
ここにはおられません。
前から言っておられたように、よみがえられたからです。
ですから、急いで行ってお弟子たちにこのことを知らせなさい。
エスがよみがえられたこと、
そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、
あなたがたは、そこで、お会いできるということです」(マタイ28:1~7新改訳)と。

 

 そして、その言葉のとおりに、
弟子たちはガリラヤ湖
新しい霊のからだに復活したイエスと会うことになったのですね(ヨハネ21:1~14)。

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
これからしようと思われることを、まず、私たちに告げ、
そして、そのことばのとおりを実行なさる方なのだそうです(アモス3:7、ピリピ2:13)。

私たちに、同労者になってほしい、と。

 ダビデが、
ダビデをねらって攻め込んで来たペリシテ人との戦いで、
天の神、主にお伺いし、
天の神、主は、そのことばのとおりに
ダビデに勝利を与えられたように(Ⅱサムエル5:17~25)。

 

私たちにも、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちの心に御思いを置いて。
今日も。

 

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言葉で過ちを犯さない者にと

 私は言いました。
「私の道を守ろう。
舌で過(あやま)ちを犯さぬように。
詩39:2

 

 だれでも、
聞くに早く、
話すのに遅く、
また怒るのに遅いようにしなさい。
ヤコブ書1:19

 

 エフェソ書4:(8~10)11~16
 サムエル記下5:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/9;木)


 私たち、自分の道に気をつけ、自分の道を守る、
舌で罪を犯さないようにしようと心がけています。

 

 けれども、それを全うするのは難しいことですね。
ヤコブが言うように、
私たち、舌で失敗をする者、ですね。
舌は小さな器官ですが、大きなことを言って誇ります。
小さな火が大きな森を燃やすように。

 

 舌は火であり、不義の世界です。
舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚(けが)し、
人生の車輪を焼き、ゲヘナ(地獄)の火によって焼かれます。
舌を制御することは、だれにもできません。
それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。
私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、
同じ舌をもって、神にかたどって造られた人を呪います。

 

 私たちは、心に満ちているものを話します(ルカ6:45)。
ですから、心を変えないで、舌を制御しようとすることは、
いちじくの木がオリーブをならせたり、
ぶどうの木がいちじくをならせたりするようなものです(ヤコブ3:2~12)。
オリーブの実はオリーブの木に、
いちじくはいちじくの木に求めないと得られません。

 

 心の思いは、霊から来ているものなのですね。
だから、霊を取り換えれば心も変わります。

 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊は、
サタンの性質を受け、
「私は天に上ろう。
神の星々のはるか上に私の座を上げ、
北の端にある会合の山にすわろう。
密雲(神の御座を包んでいる)の頂に上り、
いと高き方のようになろう」(イザヤ14:12~14)とするものです。

 

 だから、自分の努力で一生懸命、謙虚になろうとしても、
外側を整えることはできても、この性質をどうにかすることはできません。
霊を取り換える以外に。

 

 【父である神】は、
私たちの、この、〔生まれたときからの私〕という霊を
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせて、
処刑済み、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、復活し、天の、ご自身の右の座に着いておられるイエスを通して、
受け入れる者に、
もう一人の助け主(ヨハネ14:16)、聖である霊】と呼ばれる方を派遣して、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、書きしるしてくださって、
私たちが神の御思いを持つ者、
神と心を一つにする者にしてくださるのだそうです。
神の御思いが心にある者に(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく生まれた者(ヨハネ3:3~8)、
心を一新していただいた者(ロマ12:2)に。

 

 それで、私たちも、
聞くに早く、話すに遅く、怒るのに遅いようにしていただけるのですね。

 

 一つのからだのそれぞれの器官のように、
神が思っておられるとおりの、それぞれの働きをして、
キリストのからだを建て上げる者にしていただけるのだそうです(エペソ4:11~16)。

 

「私の道を守ろう」と思っているとおりに。

今日も。

 

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人がその子をだくようにして

 あなたたちが
この所に来るまでたどった旅の期間中、
あなたの神、主は
父が子を背負うように、
あなたがたを背負ってくださったのを、
あなたたちは見た。
申命記1:31

 

 私たちは、
私たちに対する神の愛を知り、
また信じています。
Ⅰヨハネ4:16

 

 ヨハネ17:20~26
 サムエル記下2:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/8;水)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの人生の旅路の日々を、
私たちを背負って運んでくささる方なのですね。

 

 エジプトを脱出したイスラエルの民を、
荒野での40年間を運んでくださったように。

 

 この方は、私たち人間を愛していてくださるのですね。
愛は、愛する者といつも一緒にいたい、
心が通じる者になり、
一つ心になっていたい、
相手が思うことが実現するようにと願うもののようです。

 

 それで、ご自身が、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛するゆえに、自由意思で、自発的に
思いと心を一つにし、
行動を一つにし、
存在を一つにしていらっやるのだそうです。

 

 【父である神】  は、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神に
ご自身の御思いのすべてを明かしておられ、
【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神は、
自分の思いで何かをしようとはしないで、
ただ、【父である神】の御思いが実現することを願っておられ、
そのように行動しておられるのだそうです
(ヨハネ5:19、6:38、8:28、12:49~50、16:13~14)。

ただ、愛し合っているゆえに。

 

 そして、その愛に加わる者をと願われて、
「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26新改訳)と
人を造られたのだそうです。

 

 けれども、最初の人、アダムとエバは、
その、造られた、愛による「神と一つ」の場にとどまることを善しとせず、
もっと素晴らしい者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになってしまったのですね(創世記3:5,22)。

 

 神と相談をし、一つ心になっていくのではなく、
自分一人だけの理性による善悪の判断で、
事の善し悪しを決定していく者に。

 

 けれども、天の神、主は、
そのように創造の目的からずれてしまい、
「的外れ」になってしまった人間を、なお、愛して、
廃棄処分にすることを望まず、
ご自身との一つの場に回復しようと計画しておられたのだそうです。

 

 それで、モーセの律法によって、
贖(あがな)い、動物による身代わりの処刑による赦しを示し続け、
ついに、ご計画の時が満ちて、
【御子】である方が、「女の子孫」(創世記3:15)として、
ナザレにいた、ダビデの家系の一処女、マリヤの胎を通して
人の世に来られたのだそうです。

 

 そして、この方が、およそ、33歳の頃、
預言され続けていたとおりに、
私たちすべての人間の「的外れ」の責任をご自身の身に負って、
神に背いた者、神に呪われた者となって、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 

 【父である神】は、この、イエスが受けられた処刑によって、
私たちすべての人間の、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしてくださったのだそうです。

 

 そして、墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れさせ、
神の国のことを語らせた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのですね。

 

 そして、このイエスを通して、
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、

 

 この方によって、私たちの心に、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、
書きしるしてくださって、
受け入れる者の心にご自身の思いがあるようにし、
ご自身と一つ心になるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 【父である神】が【御子である神】におり、
【御子である神】が【父である神】にいるように、
受け入れる者が、【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神の中におり、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が
受け入れる者の中にいるようになって、

 【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が
愛し合うゆえに一つになっておられるように、
受け入れる者が、神を愛し、
自由意思で、自発的に、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神と
一つになるように(ヨハネ17:21~26)、と。

 

 私たちも、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いの中へと。

 

 ダビデが神である主に伺いながら、
その御思いのように行動していったように(Ⅱサムエル2:1~3)。

 

 神に持ち運ばれながら。

今日も。

 

 

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