風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

休んでいいのだそうですね。あの方が休まれたように

この日に

神は

すべての創造の仕事を離れ、

安息なさったので、

第七の日を

神は

祝福し、

聖別された。

創世記2:3

 

 

 

安息の休みが

神の民に

残されています。

 

神の安息にあずかった者は、

神が御業を終えて休まれたように、

自分の業を終えて

休むのです。

ヘブル書4:9~10

 

 

(ローズンゲン日々の聖句7/28;月)
 

 

 

安息に入る約束が、

私たちにも

残っているのだそうです。
 

 

私たちは、

自分の理性、判断に

自信を持ち、

 

あの方のおっしゃることよりも

自分の考えの方を良いとする者。

 

首筋の硬い、

心のかたくなな者なのですね。


 

あの方と

心を一つにし、

思いを一つにしている場を

離れ、

 

あの方々の一人のようになろうとし、

善悪を知る者となった者

(創世記3:22)。

 

自分の理性、自分の善悪の判断を

押し通して行こうとする者なのですね。


 

そのような、かたくなな者を、

あの方は

なお惜しんで下さって

生きる道を用意して下さった。

 

 

永遠の初めから一緒におられた方、

独り子と呼ばれている方を

人間イエスとして

人の世に生まれさせ、

 

およそ33歳のころ、

この方を十字架刑で処刑して、

私たち人間の罪の全部を

処刑済みとする手続きを

完了して下さったのだそうです。


 

この方が

十字架に付けられたのは、

金曜日、朝の9時、

息を引き取られたのが午後3時頃、

 

そして夕方には、

アリマタヤ出身のヨセフという人が自分のために掘っておいた墓に、

急いで納めたのだそうです。

(日没が過ぎると安息日が始まるので)


 

けれども、

あの方は、

このイエスを、

日曜日の早朝、

新しい「霊のからだ」に復活させ、

 

このイエスが

あの方から派遣されて来た

救い主、キリストであることを

私たちに指し示されたのだそうです。


 

さらに、

あの方は、

このイエスをもと居た場所、

天のご自身の右の座に帰らせ、

 

この方をとおして、

もう一人の方、

「聖である霊」と呼ばれる方を、

お迎えする者に派遣して下さり、

 

この方によって

私たちの心に、

私たちをとおしてしようと思っていらっしゃるご自身の思いを

置いて下さって、

 

ご自身と一つ思いを思う者に

して下さるのだそうです。

(エゼキエル36:27)


 

イエスはおっしゃいました。

「わたしについて来る者は、

わたしのいる所にいるべきです」と。
 (ヨハネ12:26)

 

だから、

誰でも、

イエスをとおして来られるもう一人の方、

「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、

 

あの方の、

私たちに関わる御思いを心に書き付けていただき、

その思いについて行くなら、

イエスのおられる安息の場にいるように

していただけるのですね。

 

今日も。

 

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