風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

ひと言おっしゃってください。そうすれば、

主が仰せになると、そのように成り、  主が命じられると、そのように立つ。詩編33:9

 

 

百人隊長はイエスに答えた。  「主よ、私はあなたを    自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。 ただ、ひと言おっしゃってください。  そうすれば、私の僕はいやされます。」マタイ8:8

 

          (ローズンゲン日々の聖句1/20;火)

 

 天の神、主と呼ばれる方。 天地万物を言葉を通して創造された方。 この方が、「光があれ」と仰せられると光が出来、 「地が種類にしたがって、生き物を生ぜよ。 家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって」と仰せられて、 そのようになったのだそうです(創世記1:1~25)。

 そして、「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、 われわれに似せて」と仰られて、 私たち人間が存在することになったのだそうですね(創世記1:26)。

 ユダヤに駐屯していたローマ兵の百人隊長も、この方のことを聞き、知っていたのでしょうか。それで、中風でひどく苦しんでいる自分の子のように思っている奴隷に対しても、イエスが一言おっしゃって下されば、そのとおりに成ると。 自分が、百人隊長として、部下の兵士や奴隷に命じれば、兵士や奴隷は言われたとおりに動くように。  イエスが、「さあ、行きなさい。あなたの信じたとおりになるように」と言われ、百人隊長はその言葉だけを持って、家に帰ったのですが、帰ってみると、その奴隷はいやされていたのだそうです(マタイ8;5~13)。

 イエスが、そう思われ、そう言われると、重症の中風もいやされるのですね。

 私たち、仕事や、勉学、家事・育児、あるいは出かけたりとか、それぞれの歩みをするわけですけれど、天の神、主は、イエスに対してもそうであったように、私たち一人一人を通しても、今日、これをしようと御思いを持っていて下さって(ヨハネ15:12)、その思いを、聖である霊と呼ばれる方によって私たちの心に思わせて下さるのだそうです(エゼキエル36:26~27)。その思いにしたがって、「さあ、行きなさい」と仰って下さっているのでしょうか(ヤコブ4:15)。 私たちが関わる、お一人お一人を祝福するために。 今日も。

 

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