風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

和解を受け取って欲しいのだそうです。あの方。

あなたはあなたの罪のためにわたしを苦しめ、

わたしに重荷を負わせた。

このわたしはわたしのために、あなたの背きの罪をぬぐい、 あなたの罪を思い出さないことにする。イザヤ書43:24~25

あなたがたは、以前は神から離れ、神に敵対していました。 しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によって あなたがたと和解して下さいました。コロサイ書1:21~22

            (ローズンゲン日々の聖句5/1;金)

 私たち人間は、天の神、主のために何かをするというよりも、私たちの背きの罪で苦しめ、重荷を負わせていると仰っているのですね。

 私たち人間は、そのように背くばかりのものであるゆえに、 天の神、主は、私たち人間の側の何かによらず、 ただ、一方的に御自身の側の出来事として、ことを起こし、 私たち人間の背きの罪をぬぐい、思い出さなくていいように、 手続きを完了して下さったとおっしゃっているのですね。

 使徒パウロによりますと、 「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生れた方です。 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。 天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、

すべて御子によって造られたのです。

万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っている」、方なのだそうです(コロサイⅠ:15~17)。

 父である方は、そのような方を、人間イエスとして人の世に生れさせ、 人と同じ肉体を持つものとし、その方を十字架刑で処刑することで 私たち人間の背きの罪のすべてを処刑済みとの手続きを完了して下さったのだそうです。

 それで、訴える者が私たちをどんなに訴えても、「すでに処刑済みである」との宣告を下すことが出来るようにし、陰でこそこそではなく、白日の下で、正々堂々と、和解した者として下さっているのだそうです。

「神は、みこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させて下さったからです。

地にあるものも、天にあるものも、ただ御子によって和解させて下さった」(コロサイ1:19~20)のだそうです。

 この、天の神、主の側での一方的な行為により、私たち人間は、こんな、なんの資格もないままで、和解をいただき、御前に出て親しく御顔を仰ぎ見、お声をかけていただき、また、「天の父よ」と親しくお話しできる身分にしていただけるのだそうです。 今日も。

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