風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

おそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない、のだそうですから

定められた時のためにもうひとつの幻がある。
 たとえ、遅くなっても、待っておれ。ハバクク書2:3
 
あなたがたも忍耐しなさい。
 心を固く保ちなさい。
  主が来られる時が迫っているからです。ヤコブ書5:8
 
        (ローズンゲン日々の聖句12/17;木)
 
 終わりの時に関わる幻、
イエスがもう一度来られる約束がなかなか実現しないように思える時、必ず成るから待つようにと。
 
「この幻は、定めの時について証言しており、
終わりについて告げ、
まやかしを言ってはいない。
もしおそくなっても、それを待て。
それは必ず来る。遅れることはない。
 ~ ~ ~
正しい人はその信仰(真実)によって生きる」(ハバクク2:3~4新改訳)と。
 
 御子である神と呼ばれる方が、人となって人の世に来られる。
その約束の預言は、今からおよそ2000年ほど前、
ご計画の時が満ちて、
ユダヤベツレヘムという小さな村で実現したのですね。
 
 けれども、この時は、預言の半分、「苦難を受ける僕」(イザヤ53章など)の部分が実現し、
それによって、「聖である霊」と呼ばれる方が、受け入れる者、一人一人のうちに来てくださり、
この方の働きによって、「父である神」と呼ばれる方の、
私たち一人一人に思っていてくださる御思いが、
わたしたちのそれぞれの心に来るようになり、
受け入れた者たちが天の神、主と、心を一つにしながら生きるようになる道が開け(エゼキエル36:26~28)、
私たちに、主と心を一つにしながら生きる生き方への招待状が届けられるようになったのですね。
 
預言の残りの半分、正義と公正、平和と慈しみをもって世界を治める王としてのキリスト。
その部分は、イエスがもう一度、来られる時に実現するのだそうですね。
 
十字架刑で処刑され、墓に葬られ、三日目、日曜日の朝、復活されたイエスが、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、御自分が生きていることを実証された後、
弟子たちが見ている前で、オリーブ山から天に帰って行かれた、
その時、二人の天使が弟子たちのそばに立って言ったのだそうです。
「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。
あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、
天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で。
またおいでになります」(使徒Ⅰ:10~11)と。
 
その時からおよそ2000年。
その約束さえ、もう、忘れ去られているかのようなこの頃。
 
「もしおそくなっても、それを待て。
それは必ず来る。遅れることはない」と言われるのですね。
あの方。
今日も。
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