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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

「わたしは初めであり、おわりである」と仰る方が

わたしは始めであり、終わりである。
わたしをおいて神はない。イザヤ書446
 
 私は御父の前にひざまずいて祈ります。
御父から、
天にあるすべての家族がその名を与えられています。エフェソ書31415
 
 申命記4513
 ルカ52732(通読箇所)
      (ローズンゲン日々の聖句1/16:月)
 
 「わたしが初めからいる者。終わりにもいる者である」、
「このわたしが、人間の歴史を、
そして、この宇宙の歴史を始めた者、
また、終わらせる者である」と言われる方がいるのだそうですね。
 
 その方が言わるのだそうです。
「わたしが永遠の民を起こしたときから、
だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。
これをわたしの前で並べ立ててみよ。
彼らに未来の事、来たるべき事を告げさせてみよ。
 
恐れるな、おののくな。
わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、告げて来たではないか。
あなたがたはわたしの証人。
わたしのほかに神があろうか。
ほかに岩はない。わたしは知らない。
 
偶像を造る者はみな、むなしい。
彼らの慕うものは何の役にも立たない。
彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。
彼らはただ恥を見るだけだ。
 
だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、
偶像を鋳たのだろうか。
見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。
それを細工した者が人間にすぎないからだ。
彼らはみな集まり、立つがよい。
彼らはおののいて共に恥を見る」(イザヤ44711)と。
 
 
 この方が、家族と呼ばれるすべてものの名を与え、
私たちひとりひとりを名をもって呼んで下さるのだそうです。
「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」(マタイ317)と。
 
 私たち、イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
神を知らないものでした。
 
 けれども、イエスによって、
イエスが受けられた十字架刑での処刑に合わせていただき、
わたし自身である〔生まれたときからの霊〕を
処刑されたもの、死んだものとしていただけるのだそうです。
 
 墓に葬られたイエスは、三日目に墓より、新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山から、弟子たちの見ている前で
天の〔父である神〕の右の座、
〔御子である神〕の位に帰られたのだそうです。
 
 そして、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。
 
 この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方は、受け入れる者の心に、
〔父である神〕が、ひとりひとりに思っておられる御思いを置いてくださり、書きしるしてくださるのだそうです(エゼキエル362527)。
 
それで、受け入れる者は、この部分において
〔父である神〕の御思いと同じ思いを思う者としていただけて、
もし、その御思いのように行動するなら、
〔父である神〕が私を通してしようと思われることをしていく者にしていただけるのだそうです(ヨハネ1412)。
 
神の子、神の家族としていただけ、
この方を「父よ」と呼ぶ身分を与えていただいて。
 
 それで、このようにしていただいている者は、
国々の民に、神の知恵と悟りを示すことになり、
「この偉大な国民は、確かに知恵のある、悟りのある民だ」と言われるようになるのだそうです。
「このような正しいおきてと定めとを持っている偉大な国民が、
いったい、どこにあるだろう」とも(申命記468)。
 
これを受け取って欲しいと、天の神、主は懇願しておられるのだそうです。今日も。
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