風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

苦難の中で叫ぶ私たちの叫びを、聞いてくださって

わたしは良い羊飼いである。
わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。
わたしは彼らに永遠の命を与える。
ヨハネ10:27、28(4/26の週の聖句)

 

苦難の中で、私が叫ぶと、
主は答えてくださった。
ヨナ2:3

 

会堂長の一人で
ヤイロという名の人が来て、
エスを見ると足もとにひれ伏して、
しきりに願った。
「私の幼い娘が死にそうです。
どうか、おいでになって
手を置いてやってください。
そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」
そこで、イエス
ヤイロと一緒に出かけて行かれた。
マルコ5:22~24

 

 ヨハネ10:11~16(27~30)
 詩136(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/26;Ⅳ日曜)


 苦難の中で、私たちが叫ぶ声を、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
聞いて、答えてくださるのですね。


 会堂長のヤイロが、
「私の幼い娘が死にそうです。
どうか、おいでになって手を置いてやってください。
そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」と、
無名のイエスの足もとにひれ伏して願う願いを聞いて、
エスは出かけて行かれたのですね。
 そして、行く途中で、死んでしまった娘に、
「少女よ、わたしがあなたに言う。起きなさい」と言わると
少女は生き返ったので、
元気になった少女を両親に返されたように。

 

 イエスは、言われます。
「わたしは良い牧者です。
良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
わたしはわたしのものを知っており、
わたしのものは、わたしを知っています。
ちょうど、父(である神)がわたしを知っておられ、
わたしが父(である神)を知っているのと同じです。

 

 また、わたしは羊のために自分のいのちを捨てます。
だれも、わたしからいのちを取りません。
わたしが自分からいのちを捨てるのです。
わたしには、それを捨てる権威があり、
再び得る権威があります。
わたしはこの命令を父から受けたのです。

 

 わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。
わたしもその羊たちを知っており、
彼らはわたしについて来ます。
わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。
彼らは永遠に、決して滅びることがなく、
また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。
わたしの父がわたしに与えてくださった者は、
すべてにまさって大切です。
だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。
わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:11~30)、と。

 

 この言葉のとおりに、イエスは、
私たちの身代わりとなって、
ご自分から十字架刑での処刑を受けられ、
私たちの「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わった者、死んだものとしてくださるのだそうです。
 

 そして、墓に葬られたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、父である神の右の座に復帰され、
 

私たちにもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によって私たちの心に
【父である神】の御思いを置き、書きしるしてくださって、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が【父である神】と思いを一つにして生きる、
永遠のいのちを生きるようにしてくださるのだそうです。
【父である神】と一つにしていただいた者として。

 

 それで私たちもこの方に賛美を捧げるのですね。
「【主】に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。
主の恵みはとこしえまで。 

神の神であられる方に感謝せよ。
主の恵みはとこしえまで。
ただひとり、大いなる不思議を行われる方に。
主の恵みはとこしえまで。」詩篇136:1~4)、と。
 

この方に叫び
また、御思いを聞き分けながら。
この新しい週も。

 

 

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