風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

自分自身と思っていてくださるのですね。私たちのことを

わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。マタイ25:40(9/10の週の聖句)

 

 わが民は平和の住みか、
安らかな宿、
憂いなき休息の場所に住まう。
イザヤ書32:18

 どうか、平和の主ご自身が、
いついかなる場合にも、
あなたがたに平和をお与えくださるように。
主があなたがた一同と共におられるように。
Ⅱテサロニケ3:16

 ルカ10:25~37
 詩119:57~64(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句9/10;Ⅱ日)

 

 イエスは言います。
「人の子(イエスご自身のこと)が、栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、
人の子はその栄光の位に着きます。
そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。
彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
そうして、王は、その右にいる者たちに言います。
『さあ、私の父に祝福された人たち。
世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を受け継ぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、
わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、
わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、
わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、
わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。
  ~~
まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたが、これらの私の兄弟たち、
しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、
わたしにしたのです』」(マタイ25:32~40新改訳)と。


また、イザヤを通しても言われます。

「見よ。ひとりの王が正義によって治め、首長たちは公義によってつかさどる。
彼らはみな、風を避ける避け所、あらしを避ける隠れ場のようになり、
砂漠にある水の流れ、かわききった地にある大きな岩の陰のようになる。
見る者は目を固く閉ざさず、聞く者は耳を傾ける。
気短な者の心も知識を悟り、どもりの舌も、はっきりと早口で語ることができる。
もはや、しれ者が高貴な人と呼ばれることがなく、ならず者が上流の人と言われることもない。
  ~~
ついには、上から霊が私たちに注がれ、
荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。
公正は荒野に宿り、義は果樹園に住む。
義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。
わたしの民は、平和な住まい、安全な家、安らかな憩いの場に住む」(イザヤ32:1~18新改訳)と。


 私たちの身代わりとなって、私たちの「的外れ」の責任をとって十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、三日目に死人のうちより、新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国に着いて語った後、
弟子たちの見ている前で、オリーブ山から、天の、〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスが、〔父である神〕の右の座からお遣わし下さる〔聖である霊〕と呼ばれる方。
この方をお迎えし、この方によって心を一新していただき、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを心に置いていただく者は、
〔父である神〕の御思いを心に持つ者にしていただけて、
〔父である神」が、最も小さい、弱い者を心にかけておられその御思いが心に来て、弱い人を心にかけるようにしていただけるのだそうです。

 ユダヤ人と対立、反目し合うサマリヤ人が、旅の途中で通りかかった道で、
強盗に遭い、裸にされ、傷ついているユダヤ人を見かけ、
介抱し、宿に連れて行き、費用を自分で払って世話を頼んで出かけたように(ルカ10:25~37)、
弱っている人、困っている人の隣人になる思いにも。

 そして、詩篇の作者のように、私たちも言うのですね。
「主は私の受ける分です。
私は、あなたのことばを守ると申しました。
私は心と尽くして、あなたを請い求めます。
どうか、みことばのとおりに、私をあわれんでください。
私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向けました。
私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました。
悪者の綱が私に巻き付きましたが、私は、あなたのみおしえを忘れませんでした。
真夜中に、私は起きて、あなたの正しいさばきについて感謝します。
私は、あなたをおそれるすべての者と、あなたの戒めを守る者とのともがらです。
主よ。地はあなたの恵みに満ちています。
あなたのおきてを私に教えてください」(詩篇119:57~64)と。

 そして、互いに祝福し合うのですね。
「どうか、平和の神ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。
どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。
どうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべてとともにありますように」(Ⅱテサロニケ3:16~18)と。
この新しい週も。

 

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