風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

今の時を生かして、抜け目なく

 何事にも時があり、

天の下の出来事にはすべて定められた時がある。コヘレト3:1

 ペトロがイエスに言った。
「先生、私たちがここにいるのはすばらしいことです。
仮小屋を3つ建てましょう。
一つはあなたのため、
一つはモーセのため、
もう一つはエリヤのためです。」
ペトロは自分でも何を言っているのか、分からなかった。
ルカ9:33

 ヘブル書11:1~7(8~10)
 ルカ16:1~9(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句9/9;月・祝)

 コヘレト(伝道者)は言います。
「天の下では、何事にも定まったときがあり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。

植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と。


 ある時、イエスは、
弟子のうちのペテロとヨハネヤコブを連れて、祈るために、山に登られたのだそうです。
祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝き、
しかも、二人の人、モーセとエリヤがイエスと話し合っていたのだそうです。
エスエルサレムで遂げようとしておられるご最期について。
眠くてたまらなかったペテロたちが、はっきり目が覚めて、
エスの栄光とイエスといっしょに立っているふたりの人を見た時、
ペテロは何を言っていいかわからず、思わず、このように言ったのだそうです。
 旧約を代表するモーセと、預言者を代表するエリヤ、そして、イエスがいっしょにいれば、
鬼に金棒のようだからと。
彼がこういっているうちに、雲がわき起こって、その人々をおおい、雲に包まれたのだそうですが、
雲の中から、「これは、私の愛する子、私の選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい」という声がし、
そこに見えたのはイエスだけだったのだそうです(ルカ9:28~36新改訳)。


 ヘブル書の記者は書きしるしています。

信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。

昔の人々はこの信仰によって賞賛されました。
信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、
したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえをささげ、
 ~~
信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、
神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、
恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、
その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました(ヘブル11:1~7)、と。


 あるとき、イエスは、弟子たちに、次のような話をされたのだそうです。

「ある金持ちにひとりの管理人がいた。
この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
主人は、彼を呼んで言った。
『おまえについてこんなことを聞いたが、なんということをしてくれたのか。
もう管理を任せておくことはできないから、会計報告を出しなさい。』

管理人は心の中で言った。
『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。
土を掘るには力がないし、物乞いするのは恥ずかしいし。
ああ、わかった。こうしよう。
こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』
そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、
まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』というと、
その人は、『油百バテ』と言った。
すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって50と書きなさい』と言った。

それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがあしますか』と言うと、『小麦百コル』と言った。
彼は、『さあ、あなたの証文だ。80と書きなさい』と言った。

この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、
主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。

そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。
そうしておけば、富がなくなったとき、
彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです」(ルカ16:1~9新改訳)。


 私たちが、こちら側の世に生きている時間は、
この管理人がやめさせられるまでのわずかな時間のよう、のようです。
だから、その時間を、永遠の住まいに迎えてくれる友をつくるために、
また、天の神、主との信頼関係を深め、思いを一つにするために用いていってほしい、ということでしょうか。
今日も。

 

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