風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

この歴史を支配しておられる、その方の御思いに従う

私は永遠に生きる方をほめたたえた。
その支配は永遠に続き、

その国は代々に及ぶ。ダニエル書4:31~32(新改訳では34)

 人間に従うよりも、
神に従わなくてはなりません。
使徒5:29

 ヤコブ書1:1 ~6(7~11)12~13
 ルカ16:10~18(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句10/10;火)

 紀元前600年頃のことなのだそうです。
バビロンの王、ネブカデネザルは、一つの夢を見たのだそうです。
それで恐れ、おびやかされ、バビロンの知者をことごとく連れて来させ、その夢の解き明かしをさせようとしたのだそうですが、だれも、その夢をと明かすことができなかったのだそうです。

 それで、ダニエルが呼び出されたのですが、
王がダニエルに告げたその夢は、
「地の中央に木があり、その木は成長して高くなり、
その高さは天に届いて、地の果てのどこからでもそれが見え、
葉は美しく、実も豊かで、
その下で野の獣がいこい、その枝には空の鳥が住み、すべての肉なる者はそれによって養われた。

 見るとひとりの聖なる者が天から降りて来た。
彼は大声で叫んで、こう言った。
『その木を切り倒し、枝を切り払え。
その葉を振り落とし、実を投げ散らせ。獣をその下から、鳥をその枝から追い払え。
ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、
天の露にぬれさせて、地の草を獣と分け合うようにせよ。
その心を、人間の心から変えて、獣の心をそれに与え、7つの時をその上に過ごさせよ。

 この宣言は見張りの者たちの布告によるもの、
この決定は聖なる者たちの命令によるものだ。
それは、いと高き方が人間の国を支配し、
これをみこころにかなう者に与え、
また人間の中の最もへりくだった者をその上に立てることを、
生ける者が知るためである。』」

 ダニエルは、その夢は、ネブカデネザル王についてのことであると解き明かし、
「それゆえ、王さま。
正しい行いによってあなたの罪を取り除き、
貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。
そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう」と勧告したのだそうです。

 12か月の後、ネブカデネザル王が、宮殿の屋上を歩いていたとき、
王はこう言っていたのだそうです。
「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、
また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか」と。

 このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。
「ネブカデネザル王。あなたに告げる。
国はあなたから取り去られた。
あなたは人間の中から追い出され、野の獣と共に住み、牛のように草を食べ、
こうして7つの時があなたの上を過ぎ、
ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、
その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」

 そして、そのとおりになり、その期間が終わったとき、
ネブカデネザルが目を上げて天を見た。
すると理性が戻って来た。

 

 彼は王位に戻り、
いと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえたのだそうです。

「その主権は永遠の主権。
その国は代々限りなく続く。
地に住みものはみな、無きものとみなされる。
彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。
御手を差し押さえて、
『あなたは何をされるのか』という者もいない」(ダニエル4章、新改訳)、と。

 だから、イエスの弟子たちが、
祭司長たちの、イエスのことを語ってはならない、との命令に答えたように、
私たちも、「人間に従うよりも、神に従うべき」なのでしょうね。


 イエスの弟のヤコブは書き送っています。

私の兄弟たち。
さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。
そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、
成長を遂げた、完全な者となります。
 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、
その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。
そうすればきっと与えられます。
 試練に耐える人は幸いです。
耐え抜いて良しと認められた人は、
神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです(ヤコブ1:2~5、12)、と。


 イエスは言われます。

小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、
小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
ですから、あなたがたが不正の(この世の)富に忠実でなかったら、
だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。

 また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、
だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。

 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。
一方を憎んで他方を愛したり、
または一方を重んじて他方を軽んじたたりするからです。
あなたがたは、神にも仕え、また、富にも仕えるということはできません(ルカ16:10~13新改訳)。


 私たち、この世のことを、
自分の思いによってではなく、
神に仕えることとして、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる、
この歴史を導いておられる、
〔父である神〕の御思いによって、成していく、ということでしょうか。
今日も。

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]