風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

背信の子らよ。帰れ!

 「背信の子らよ、立ち帰れ。

わたし(主なる神)は背いたお前たちをいやす。」、

 

「我々はあなたのもとに参ります。

あなたこそ我々の主なる神です。」エレミヤ書3:22

 

 あなたがたが子であることは、

神が、「アッパ、父よ」と呼ぶ御子の霊を、

私たちの心に送ってくださった事実から

分かります。ガラテヤ書4:6

 

 フィレモン書1~16(17~22)

 ゼファニア書2:1~7(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句9/5;水)

 

 天の神、主、

「『わたしはあるIAM)』という者」と名乗られる方は、

父親に背いて家出した放蕩息子のような私たちに呼びかけて言われるのですね。

「わたしに立ち帰れ。

わたしがお前たちをいやすから」と。

 

 そして、私たちが、方向転換して、

この方のもとに帰っていくとき、

私たちをご自分の家族、子として受け入れてくださるのだそうです。

 

 私たちに代わり、

私たちの背き、「的外れ」の責任をご自身に負って、

神に呪われた者となって、

十字架刑での処刑を受けてくださったイエスを通して、

私たちに神の子の身分を与えてくださる霊、

〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、

御自身の子としてくださり、

「父よ」と呼ぶことができる者にしてくださるのだそうですから。

 

 ローマの牢獄に捕らわれているパウロは、

獄中から送ったぴレモンへの手紙の中で、

「私はあなたのなすべきことを、

キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、

むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。

私はあなたの同意なしには何一つすまいと思いました。

それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、

自発的でなければいけないからです」と書いています(ピレモン8、14~15新改訳)。

 

 そのように、天の神、主も、私たちに思っていてくださるようです。

強制されて、あるいはこうあるべきだからとかいうのではなく、

愛し合うゆえに、

自由意思で、自発的であることを。

それで、天の神、主は、私たちに何かをする場合にも、

私たちの同意を求めておられるのですね。

「あなたの同意なしには何一つすまいとおもいました」と。

 

 それで、言われるのですね。

「主を尋ね求めよ。

義を求めよ。柔和を求めよ。

神である主が彼らを訪れ、

彼らの繁栄を元どおりにするから」(ゼパニア2:3、7)と。


 天の神、主、

「『わたしはあるIAM)』という者と名乗られる方は、

エスを通して来る

〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

御自身の思いを私たちの心に置き、

私たちと一つ心になって進みたいのだそうですから。

私たちが同意さえするなら。

今日も。

 

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