風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

言い表し、明るい、光の中の出来事にしていただき

背(そむ)きの罪は私たちと共にあり、
私たちは自分の咎(とが)を知っている。
主に対して偽り背き、
私たちの神から離れ去ることを。イザヤ書59:12~13

 自分の罪を公に言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、
あらゆる不義から私たちを清めてくださいます。Ⅰヨハネ1:9

 創世記1:14~19
 サムエル記下11:1~27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/15;水)

 私たち、人間は、
天の神、主、
「『わたしはある(
I am)』という者」と名乗られる方によって
造られたもの、なのですね。

 

 「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして。
われわれに似せて」と仰せられて(創世記1:26)。

 

 愛において、
自由意思で、自発的に
一つになることを願う者を、と。

 

 愛は、愛する相手と心を一つにし、
行動を一つにし、存在を一つにしたいと願うものなのだそうですから。

 

 けれども、最初の人、アダムが、
造り主、天の神、主との一つの場にとどまることを善しとせず、
もっと素晴らしい者に、
神のようになろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)以来、
私たちは、この神の創造の目的から
「的外れ」になったものとして生まれて来ています。

 

 神に背き、神に対立、対抗して、
自分一人の理性の判断で事の善し悪しを決定していく者、
そして神から身を隠す者に(創世記3:7~8)。

 

 ダビデが、王としての地位が安定したとき、
自分の好ましいと思う思いのままに、
戦場に出て留守中の忠実な部下ウリヤの妻を召し入れ、
身ごもったのを隠すために
ウリヤを戦場から呼び戻し家に帰らせようとしたけれど、
ウリヤは、
「私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。
それなのに、私だけが家に帰り、
飲み食いして、妻と寝ることができましょうか」と、
王宮の門のあたりで、自分の主君の家来たちといっしょに眠り、
家に帰ろうとしなかったのだそうです。

 

 それで、ダビデは、将軍のヨアブ宛に
「ウリヤを激戦地に出し、戦死させるように」との手紙を書き、
ウリヤに持たせて戦場に送り返し、ウリヤを戦死させて
自分の不倫を隠そうとしたように(Ⅱサムエル11:1~27)。

 

 その、「的外れ」の者の集まりでは、
公義は私たちから遠ざかり、
義は私たちに追いつかず、
光を待ち望んだが、見よ、やみ。
輝きを待ち望んだが、暗やみの中を歩む。
私たちは盲人のように壁を手さぐりし、
目の見えない者のように手さぐりする。
真昼でも、たそがれ時のようにつまずき、
やみの中にいる死人のよう。
熊のようにほえ、鳩のようにうめく。
公儀を待ち望むが、それはなく、
救いを待ち望むが、それは私たちから遠く離れている(イザヤ59:9~11)、
のですね。

 

 けれども、天の神、主は、
私たちが自分の罪、「的外れ」の存在を認めて、
公に言い表すなら、
その罪、「的外れ」を赦し、
あらゆる不義から私たちをきよめてくださるのだそうです。

 

 私たちの「的外れ」の責任、不義のすべてを御子イエスの上に置いて、
この方を神に背いた者、神に呪われたものとして十字架刑で処刑し、
「的外れ」、「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうですから。

 

 そのうえで、【父である神】は、
墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、死人のうちから新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語らせたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのですね。

 

 そして、このイエスの十字架刑での処刑による、
〔生まれたときからの私〕という霊の死をを受け取った者に、
このイエスを通して、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によってご自身の御思いを私たちの心に置き、
受け入れる者がご自身と一つ思いを思い、
一つ心になるようにしてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
受け入れるものの心を一新して(ロマ12:1~2)。

 

 私たちを照らし、明るい光の中を歩むようにと。
天地創造の4日目、太陽と月と星が地上を照らし、
昼と夜とをつかさどり、
光とやみとを区別されたように(創世記1:14~19)。

 

 私たちも、自分の罪、「的外れ」を認め、
御前に言い表し、
見ていただき、知っていただいて、
私たちの思いが神の中にあるようにしていただき(ヨハネ17:21)、
明るい、光の中の出来事としていただきながら。

今日も。

 

(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、

また、婚活で広く出会いを求めたい、
等のお問い合わせは
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉

 

 

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >

アクセスランキング にほんブログ村"/></a